『ひとりで生きる』(ヴィターリー・カネフスキー/1992)


ヴィターリー・カネフスキー特集@ユーロスペースにて『ひとりで生きる』初見。多くの映画好きの方と同じく、『動くな、死ね、甦れ!』は、孤高の厳しさ、美しさの前に茫然唖然としてしまう作品として、初見時から今尚鮮烈な記憶が残っている。カネフスキーの苛烈なるテンションの高さについていくには、2本、3本と立て続けで見るよりも、1本1本を真剣勝負の如く食い入るように向き合わねば、こちらのテンションが負けてしまいそうだ。そして、これは本当に本当に(!)恐ろしいことだと思うのだけど、『ひとりで生きる』は、あの『動くな、死ね、甦れ!』すら超えてしまうような途方もない衝撃作だった。


『ひとりで生きる』のワンショットにはあらゆる感情の切断が張りめぐらされている。短いワンショットの中で登場人物は、怒り、笑い、泣き、すべてを忘れたように踊っては、何処にも回収されない歌を霧の寒空に放つ。カネフスキーは人の感情の切断面、断層を明示する。オトナたちに殺される豚を救えなかったと、己の不甲斐なさに涙する主人公が、次の瞬間にはケラケラと笑いはじめる一続きのショット。終盤、人のこころの”使用”を%で示す少女の台詞が示唆的だ。画面に叙情の一面を漂わせながら、このポエジーは叙情だけを頑なに拒否してしまう。各エピソードをフェイド・アウトによって消え入るよう終えるのは、この断層を表わす意図があるのかもしれない。このフェイド・アウトはフィルムの特性を異様な形で意識させる。テーブルを囲む食事のシーン。カメラの露出がグングンと絞られ黒味になっても、食事をする人物の光だけが微かに残っている。船上における長縄跳びのシーンでは、明らかに別録りの環境音と縄が床に打つ音だけが異様な輪郭で強調される。断層。主人公は道を歩いていたかに思うと、次のシーンでは唐突に船の上にいる。港にいる少年は旅立つ少女に向かって大声で語りかける。少女は霧の中に消え、遠くから声だけが聞こえる。この少年と会話しているのはいったい何者なのか?


感情の断層とか呑気に書いていられるのも実はここまでの話。後半の展開にはただただ唖然とするほかなかった。胸をエグるようなテンションの高さが、イカれちまった美しさと結実するラスト、涙さえ寄せ付けないラスト。用意した水分を一滴も取れず、作品のあまりの衝撃度に唖然と口をあんぐり開いたまま幕が開けてしまった。くはーーッ、凄すぎる!!俄然『ぼくら、20世紀の子供たち』が楽しみになりました。


『動くな、死ね、甦れ!』『ひとりで生きる』『ぼくら、20世紀の子供たち』のDVD−BOXが紀伊国屋から発売されるらしいです。これはさすがに欲しい!『KTO Bolche』(2000)が特典として収録されてたら最高だね。さすがにムリか。とはいえカネフスキーの衝撃は是が非でも映画館で!フィルムで体験することと非常に密接な関わりを持っているので。


http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=233