『ディア・ドクター』(西川美和/2009) 他

朝の光の中で眠たい目を擦りながら、嗚呼もうこの世界にはマイケルがいないのだなと、いつもの見慣れた景色や空気、隙間、合間にとても深い断絶を感じています。20世紀が本当に終わったんだなという虚脱感が更に追い討ちをかける。偉大なる魂の喪に服すように、痛みを鎮めるような面持ちでジャクソン・ファイヴを流したら、其処には「光と影」ではなく、少なくとも音楽の鳴っている間だけは光しか射さないようなキラキラしたポップミュージックのマジックが。理由は分からないのだけどジャクソン・ファイヴとシュープリームス、50's〜60'sモータウンの残した音楽には過剰に執着してしまいます。きっとこれからもずっと。


以下、最近見た映画について短いメモで。


・『吸血鬼』(ロマン・ポランスキー/1967)

シネフィルイマジカで。雪原の斜面をソリのように棺桶が突っ走る様が素晴らしい。吸血鬼たちの舞踏会がもたらす多幸感のさなかシャロン・テート救出作戦が繰り広げられるのだけど、大鏡に吸血軍団が映らないというところが粋。所々もたついた印象を受けるものの着地点も含め細部がなかなか面白かった。シャロン・テート、美しい!


・『濡れた欲情 ひらけ! チューリップ』(神代辰巳/1975)
シネマヴェーラで。ラーメンの屋台を背負って街中を全力疾走する女性がヤバイ。狭いスペースでのアクションが印象的。親友であるモテモテのクギ師と童貞のパチプロがボートを漕ぐ様に何故か感動が湧き上がる。大好きか?と問われればやや答えに躊躇しますがとても面白かった。間寛平


・『宵待草』(神代辰巳/1974)
再見。やっぱ気球のシーンは大好きだ。


・『レッツ・ゲット・ロスト』(ブルース・ウェーバー/1988)
写真家ブルース・ウェーバーが撮ったチェット・ベイカーのドキュメンタリー。粗いフィルムに露出過多ぎみの映像がカッコよい。最期まで多数の女に愛され、「遅延された自殺」のようにヘロインを過剰摂取するチェット・ベイカーのあくまでクール派な生き様が凄まじい。後日改めて書くかも。


・『ディア・ドクター』(西川美和/2009)
笑福亭鶴瓶主演ということでかなり期待値の高かった西川美和最新作。前作『ゆれる』は前半のオダギリジョーによる車移動が素晴らしいわりには、後半その拡散的なプリズムは減退、「映画」も「物語」もキレイに枠の中へと収束してしまい、モノ足りなさを感じたのだけど、画面をいたずらに拡散させることなく、ほとんど正攻法で役者を正面から撮った本作では、特に瑛太を長めに見つめたショットとかに、西川監督の本質が見出せるかもしれない。とはいえ都会からやって来た瑛太が田舎医者(鶴瓶)に巻き込まれる様をほとんど省略したのは何故なのか?とか、空絵に纏わせる「侵食」はどうなの?とか、本作がともすると「日本映画」とそう変わらぬ表情をしているところも気になる。鶴瓶がバイクで走り去るところはよい。でも相米映画のような先の読めないやさしいのか冷たいのか判然としない危険な鶴瓶(本当に稀少な役者だね)を演出する力も西川監督にはあるはずなので、勿体ない気もする。とはいえ役者陣は皆一様に素晴らしかった。井川遥が『トウキョウソナタ』に続き印象的な存在感。


・『イエローキッド』(真利子哲也/2009)
ユーロスペースにて東京藝術大学大学院映像研究科3期生の作品。入場規制が出る大入り。30分前の時点で立ち見でした。さて藝大の作品は3年連続で何かしらを劇場で見ていますが、去年の『彼方からの手紙』は別格として、『PASSION』のような水準の作品はそう簡単には現れないのだな、と思った(簡単に現れたら困るか)。既に各方面で評価されている作品のようですが、最期まで作品に入ることができなかった。唯一漫画家とボクサーの間で写生が行なわれる切り返しには引っかかるものの。7月1日の遠山智子さんの作品に期待大。