『ダークナイト』(クリストファー・ノーラン/2008)


月日の流れは本当に早いもので、少しばかり夏バテしてる間になんと『TOKYO!』は明日16日より上映ですよ。シネマライズ他にて。ウェルカムバック、レオス・カラックス!と叫びたい。今週末は無念なことに見れないんだけど。。。
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で、現在批評的にも興行的にも破竹の勢い快進撃なクリストファー・ノーランの『ダークナイト』。ドン・シーゲルの『突破口』(1973)みたく緊迫した銀行強盗のアクションから始まるのだけど、ここに至るファーストショット、ゴッサムティーの空撮→ビルの窓が大爆破っていう流れがいきなり期待値を上回ってくれて一瞬、スゴイかもと思う。しかしその後の俳優の周りをクルクル回るカメラや、3つか4つくらいの緊迫した場面を並行モンタージュで見せていくやり方には、雰囲気としてよく頑張ってるかなぁくらいに思っていたのだが、バットマンvsジョーカーのトンネル内でのカーチェイスアクションが結構奇天烈な出来映えでそこからは一気にノレてしまった。腹の中に埋め込まれた(曰くクリスマスみたいな光)爆弾の爆破や、ジョーカーが病院を破壊するとこなんか特に素晴らしい。映画の後半では50vs50のゲーム(生死を分ける選択)というジョーカーが仕掛ける”イベント”が頻繁に描かれる。仕舞いには「正義」のモデル=デント検事(彼の仕掛けるゲームも50vs50のコイントスだし)の顔半分が焼け落ちてしまうという展開になることで、50vs50という主題がクドイくらいに明文化されている。前半に頻出した役者の周りをクルクル回るカメラが後半ピタリと止み、役者の顔半分に光を当てる演出に徹底するのも、この主題によるのだろう。そして繰り返されるフィフティ・フィフティの果てにバットマンが「闇の騎士(ダークナイト)」を選び取るという選択もなかなかに味わい深いものがある。でもこここそが同時に物足りなさを感じてしまったとこで、フィフティ・フィフティの余白に描かれるものにこそ興味が惹かれるのだけどなぁ。それをフィフティ・フィフティの彼岸=善悪の彼岸と言ってもいい。そこから漏れ落ちてしまうものや、その果てにあるモデルケースはここにはなかった。とはいえ、こうゆう映画が特大ヒットしてるアメリカの状況はちょっと羨ましいし、この映画を否定することは絶対にできない。アメリカ映画は今、本当に面白いことになってるのだよ。必見ッ。


追記*死んだと思われたゴードン警部が妻の元に帰ってくる、その時の黙って平手打ち→即抱擁のアクションも好きですね。