『夏時間の庭』(オリヴィエ・アサイヤス/2008)


銀座テアトルシネマにて。いくら水曜千円とはいえ、全回満員御礼は素晴らしい客入りではないだろうか。予定してた時間がソールドアウトで神保町でフラフラ時間を潰しつつ19時の回で見ました。そしてこれが期待を遥かに超える素晴らしい作品、拍手を送りたい気持ちで一杯です。『感傷的な運命』に多大な感銘を受けたあとで言うのもやや躊躇してしまいますが、ひょっとするとアサイヤスの作品の中で今のところ一番好きな作品かもしれない(『クリーン』も傑作だと思うけどねー)。『夏時間の庭』は物質(遺品)が持つ記憶についての諦念と希望が渦巻く傑作である。


美術的価値の高い骨董品に囲まれた屋敷、夏の庭、家路を急ぐ子供たちを見送ったエディット・スコブ(ジョルジュ・フランジュ作品のミューズ)が夕暮れ時の薄暗い木漏れ日に照らされながら、自分の死んでしまった後の世界を憂う。詰まらない思い出は死と共に何もかも消えてしまう、でも物は残ってしまう、遺された物がこどもたちの重荷になってほしくない。長女(ジュリエット・ビノシュ)と次男(ジェレミー・レニエ)は此処(フランス)を離れて暮らす予定だ。長年この屋敷に仕えてきた家政婦のエロイーズ(素晴らしい!)は親類の家に移る。長男だけが此処とその記憶に留まろうとするが、やがて家族会議が開かれ、穏健的な合意の元、遺品のすべては売り払われることになる。遺品は決してモノは言わないが、その存在だけで多くを語っている。これら遺品の持つ記憶を歴史と言い換えることも可能だろう。



台詞こそ少ないものの家政婦エロイーズ(イザベル・サドヤン)が無人の屋敷に佇む姿が泣かせる。何か遺品を持ち帰ってくれとせがまれ「なるべく価値のなさそうなものを」と花瓶を受け取り屋敷を後にするその寂しい姿に涙する。また目まぐるしく人が入れ替わり立ち替わる家族会議を捉えたカメラ(エリック・ゴーティエによる撮影はホウ・シャオシェン作品におけるリー・ピンピンの達人芸をもっと世話しなくゴツゴツとアサイヤス印に昇華させた非常に味のある仕事だと思う)の中でシャルル・ベルリングの妻ドミニク・レイモンが放つ控えめにして知的な芳香とでもいうべき存在感が忘れられない。


美術館に展示され真空パックされた遺品の記憶はどこか余所行きで、しかしその沈黙はとても穏やかにみえる。それはたとえば小さい頃可愛がっていたぬいぐるみの表情が時折自分に笑いかけているかのように見えるのと近いそういう感覚だと思う。


さて、廃墟となった屋敷にベルリングの娘をはじめ未来を背負う子供たちが集いパーティーがはじまる。屋敷中にロックンロールが流れ少女たちが踊りだす。キュートなことこの上ない少女たちを誰も責めることはできない。彼氏と連れ立って森の茂みに佇む少女はちょっとだけ涙を流す。3世代に渡る家族が集まり幸福なイメージに溢れていたファーストショットと対になるラストショットの移りゆく美しさにありったけの拍手を送りたい。どこかの国の遠い御話とは思えないとても親密な関係を迫る作品。超傑作!


追記*食器と愛犬の絶妙な扱い方は『感傷的な運命』と本作をそれとなく結んでいます。


追記2*SomeCameRunningさんによる『レイチェルの結婚』評にテンションがあがる。↓
http://d.hatena.ne.jp/SomeCameRunning/20090521