『インポッシブル』(J・A・バヨナ/2012)


東京国際映画祭にてユアン・マクレガーナオミ・ワッツの『インポッシブル』。フアン・アントニオ・バヨナの作品は初めて見たのだけど、これがなかなか善戦している作品だった。映画はスマトラ沖地震による津波で離散した家族の再生を描いている。何もかもが破壊され、ほとんど爆撃を受けた戦争の跡のような光景。至るところに遺体が積み重なった光景。津波のシーンにおける災害の予感の見事な演出から、流された木材やガラクタが、ピラニアのようにナオミ・ワッツ(美しい!)や家族にまとわりついては、次々と身体を傷つけていくシーンの恐怖。前半のかなり長い間、ナオミ・ワッツと長男が津波に流されていくアクションシーンが続くのだが、そこから先の、見えないジャングルを一歩一歩踏み進んでいく冒険譚のような展開が秀逸だ。ちょっとびっくりするようなホラーテイストなシーンがあるのだが、なるほど、この監督はこういった、ジャンルの交通を1本の作品の中で自在に行き来させていく手腕に秀でたものがあるようだ。ユアン・マクレガーが残り少ない充電の携帯電話を同じ被害にあった仲間から借りるシーンなど、泣かせるところはしっかり泣かせる。瀕死の母親(ナオミ・ワッツ)に、両側から小さな天使のような息子たちが頬にキスをする演出に泣く。なにより母親ナオミ・ワッツと運命を共にする長男の、どんどん成長していく顔には、アメリカ映画らしい逞しさの光と繊細な影が同時に映えていて素晴らしい。この少年の顔にアメリカ映画を感じた時点で、私はこの作品に好感を持った。終盤の画面展開は脚本の消化に従事しすぎているようで、やや冗長と言わざるを得ないが、それよりも演出家としての細かい仕掛けの部分が光る、記憶に残る映画だった。日本語字幕では強調されないものの、”インポッシブル”という言葉が、無常のようではあるが、すごく感動的に劇中で使われる。幾千の星の中で生きている星と死んでいる星を区別するのは不可能だ。つまり裏を返せば、そこにはまだまだ希望があるということだ。


追記*津波を扱った作品ということで、心身ともに傷跡が残る日本でこの生々しい映画を一般公開するのは、しばらくの間むずかしいかもしれない。次の上映は10月24日。
http://2012.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=147