『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』(スチュワート・マードック/2014)



ベル&セバスチャンのスチュワート・マードック初監督作品『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』は、ポップミュージックが一人の女の子の人生を救えるかどうか、という賭け、強い動機に支えられた映画だ。しかし、『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を真に特別な映画にしているのは、ポップミュージックと一人の女の子の関係を、エミリー・ブラウニングという魅力的な女の子の内側から能動的に描いているところにある。ここにあるのはポップミュージックが何かをしてくれるという単純な救済の物語ではない。『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』では、エミリー・ブラウニングの内側から溢れ出る言葉や歌声、運動が、結果として偉大なポップミュージックを形作っていく。スチュワート・マードックが描くのは、ポップミュージックが出来上がっていくプロセスなのだ。ポップミュージックが出来上がるまで、偉大なポップレコードが出来上がるまでの、いわば永遠のエピローグがエミリー・ブラウニングという女の子の小さな体に刻まれていく。スチュワート・マードックは、偉大なポップレコードが一夜にして出来るわけではないことを教えてくれる。この映画のように、それは一人の女の子が決定的な時間を待ち続けた物語の集積、なのだと。その意味で、『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』はあなたや私の物語であり、つまり真に青春映画といえる。



拒食症のエミリー・ブラウニング(役名はイヴ!)が眠れない夜から目覚めるシーンからこの映画は始まる。ベッドルームで自作の曲をカセットテープに録音するエミリー・ブラウニング。そう、彼女の冒険は、いつだってベッドルームから始まる。そしてそれは反復される。幸福な反復ではなく、残酷な反復として。『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』においてベッドルームは、ポップレコードを夢見て、再び夢見破れる、待機の時間なのだ。エミリー・ブラウニングにとってのガール・ミーツ・ボーイ。及び、いつもレコードを作ることを夢見ているギタリスト、オーリー・アレクサンデルにとってのボーイ・ミーツ・ガール。エミリー・ブラウニングとハンナ・マリーによるガール・ミーツ・ガール。まるで寓話のように出会っていく3人の、この3人が揃ったときにしか成し得ないアンサンブルの輝かしい一片一片が、ポップレコードを形作っていく。




映画の冒頭、病院のフェンスを越え、突然歌い始めるエミリー・ブラウニングの歩くうしろには、まるで音符♪が付いてくるかのようだ。ダンスのないシーンでさえ、彼女は踊るように歩く。歌うように歩く。そしてジャズボーカルのように力を外へ逃がしていくようなエミリー・ブラウニングの発声、歌声(技術の高さに驚いた)とダンス。彼女の一つ一つの所作が周囲に伝染するかのように、未来のポップミュージックがクリエイトされていく。エミリー・ブラウニングの声を欲したスチューワート・マードックは、どこまでも音楽家だ。既に2回見てるけど、同じとこで泣いた。ゴダール『はなればなれに』のマジソン・ダンスを初めて見たときのような感動。とびきりのミュージカル・シーンがいくつかある。



グラスゴーでの3人の日々に変化が訪れるとき、この映画の主人公イヴたち3人よりちょっと早く、この作品のラストを見届けた観客は知ることになるだろう。スチュワート・マードックによるこのプロジェクトが"ゴッド・セイヴ・ザ・ガール" ではなく、" ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール" と名付けられたことの、其処に込められた思いを。それはイヴたち3人が、やがて大人になって振り返ったとき、知ればいいことなのだ。そのときグラスゴー発のラジオ局からは「世界に残された最後のカセットテープ」=偉大なポップミュージックが流れるだろう。このテープは未来に託されている!とても愛おしい作品。


リアルベルセバ好きのエミリー・ブラウニングにベタ惚れ。衣装も動きもなにもかもが、どうしようもなくかわいい!スミスのTシャツ!この世に踊ってる女の子ほど美しいものはない!と固く信じている自分にとって、赤いドレスを着たエミリーのダンスは何十分でも見ていたい気持ちにさせられます。オーリー・アレクサンデルのエミリーにゾッコンの目がまたいいんだよね。3人ともキュンキュンだ。




God Help the Girl

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奇跡の予告編。