『El Cine Soy Yo』(Luis Armando Roche/1977)


間が空いてしまったけどジュリエット・ベルト特集その8。ジュリエット・ベルトはグラウベル・ローシャとの傑作『Claro』(1975)のあと、再び南米の映画作家と組んでいる。このルイ・アルマン・ロシェ(注*読み方が間違ってるかもしれません)というベネズエラの作家はIMDbのデータによると、ドキュメンタリー出身の映画監督ということで、作品中にも挿入されるアーカイヴ映像(ダイヤモンドの街の記録フィルム〜ベネズエラの(?)古典映画の数々)や、打楽器を演奏する民衆を掻き分けて入っていくようなカメラにも、なるほど、その傾向は伺える。とはいえ、グラウベル・ローシャのように被写体との過度な緊張関係をそのまま運動としてフィルムに刻んでいく過激さはなく、この作品はタイトル(英題を「The Moving Picture Man」)に忠実に、まず放浪の映画として、むしろウェルメイドな作品に仕上がっている。幾度も挿入されるアーカイヴ映像ほどには映画自体がラディカルにならない。ジュリエット・ベルトが即興的に地面に寝転がる(『Claro』に似たシーンがある)舞踏シーンや、ブニュエル映画のようなジャングルの浸水した景色を進むバン(上映機材装備。映画の上映をするために各地を放浪する)、アーカイヴ映像と俳優への切り返しこそが、この映画のちょっと興味深いところだ。ジュリエット・ベルトは目の前で上映されるミュージカル・フィルムの、道化師に扮した女性を眺めながら、「すべての俳優はバイセクシャルなのよ」とつぶやく。ジュリエット・ベルトのような特異すぎるキャリアを歩んだ女優がこの言葉をつぶやく。このことが面白いと思った。


ジュリエット・ベルトのフィルモグラフィーとして、この作品を捉えたとき、これまで通りまず第一に「放浪の女優」というテーマが挙げられる。またこの作品の野外上映のシーンをジュリエット・ベルト監督作品『Havre』への布石だと捉えることも出来るだろう。『Havre』において野外上映のシーンは直接的にはないものの、映写室(を明らかに想起させる)からの何本もの鋭い光が夜の空を満たしたあの特別な光景は、フレームの外ではなく、『Havre』というフィルムそのものに投射されたはずだ。ヨリス・イヴェンスによって指揮された『Havre』の光は、小さな村での野外上映という、限りなく流動的なコミューンのようでありつつ、野外上映という活動自体を、絶え間なく動き続ける犯罪としても捉えられるこの運動は、ジュリエット・ベルトの監督した3つの傑作の根っこにあるものと同じだと思われる。ジュリエット・ベルトという女優はフィルムの中で絶えず亡命し続けた女優なのではないだろうか。ジュリエット・ベルトはフィルムの中でメタモルフォーゼ/この世界からのトランスを実験する女優だった。「すべての俳優はバイセクシャルなのよ」という先の台詞は、ふとしたつぶやき以上の意味を帯びている。


追記*この作品自体のことをあんまり書いてないですね。南米の作家ということでちょっとグラウベル・ローシャのようなエキセントリックさを予想してたからね〜。グラウベル・ローシャって改めて凄いんだなと思ったよ。以下、『Havre』についての過去記事。
http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20110208