Yekaterina Golubeva


『ポーラX』(レオス・カラックス)の主演女優カテリーナ・ゴルベワが、44歳の短い生涯を終えてしまった。スクリーンの上でのカテリーナ・ゴルベワは、沈黙という闇を身に纏ったかのような、あの深すぎるミステリアスな視線をこちらに向けるだけで、フィルム自体に震えを起こすことのできる稀有な女優だった。ジュリエット・ビノシュとの恋愛関係が終わり、ドニ・ラヴァンと共に「カラックスの分身」とまで言われた名カメラマンであり、盟友でもあったジャン=イヴ・エスコフィエともケンカ別れしてしまった当時のカラックスにとって、カテリーナ・ゴルベワとの決定的な出会いがなければ、『ポーラX』という作品がなかったことは当然として、再び映画を撮るという強い欲動にかられていなかったことさえ十分に考えられる。フィリップ・ガレルとニコの残した美しいフィルムに比較される、シャルナス・バルタスとカテリーナ・ゴルベワの残した”静かな”フィルムについて、カラックスはこう評している。「(シャルナス・バルタスの作品において)カテリーナ・ゴルベワは画家の夢見る天使以上に、天使の表情をしている」。カラックスにとってカテリーナ・ゴルベワが「夢見られた天使」だったことを直接的に告白する言葉だ。ほとんど台詞のないシャルナス・バルタスの映画にあって、カテリーナ・ゴルベワはその強く深すぎるまなざしだけで、目の前に広がるそのすべてを語っていた。フィルム上の「天使」に実際に会ったカラックスは、おそらくカテリーナ・ゴルベワの「声」を発見することになる(カラックスはカテリーナ・ゴルベワが共同脚本を務めたシャルナス・バルタスの『家』に出演している。また同じ年にカテリーナ・ゴルベワの出演する『無題(Sans Titre)』という短編を撮っている)。カテリーナ・ゴルベワが放つロシア訛りのフランス語の、「声」というより、「ささやき」、その小さな音声は、『ポーラX』で強烈な印象を刻むことになる。



レオス・カラックスの作品をこよなく愛する者の一人として、私はカテリーナ・ゴルベワに多大な恩を感じている。カラックスに再び映画へ向かう動機を与えたミューズであるだけでなく、たとえば『ポーラX』という映画に関して、後々、シャルナス・バルタスの作品群を介したことで、この傑作への理解がより深まったことは間違いない。シャルナス・バルタスの作品に接したことのある者なら、『ポーラX』においてカテリーナ・ゴルベワが「友達はみな海の底にいる」とささやくとき、彼女の震えの前に、二重、三重の光景が広がっていくのを幻視するはずだ。あるいはシャルナス・バルタスが指揮するノイズ・オーケストラの荒れきった工場のシーンを思い出してもいい。それほどまでに『ポーラX』という作品にはシャルナス・バルタスとカテリーナ・ゴルベワの残したフィルムとの反響関係が刻まれているのだ。さらにこの『ポーラX』からのポエティックな反響を、クレール・ドゥニの傑作『侵入者』に認めるとき、カテリーナ・ゴルベワという稀有な女優がフランスに渡ったことの計り知れない重大さを知る。



『侵入者』の冒頭、暗い森の中でカテリーナ・ゴルベワがこちらに向かってささやく強烈な予言、「悪魔は――あなたの内側に隠れている――あなたの影に――あなたの心臓に」。あの鮮烈なシーンを忘れることはないだろう。カテリーナ・ゴルベワの記事を読んでいくと、多くの記事で彼女には三人の子供がいたことが記されている。元夫シャルナス・バルタスとの間に生まれた娘さんは、最近セルビアのノビサド・フィルムフェスティバルにバルタスと共に元気な姿を見せたそうだ。プライベートの複雑な事情は、ただでさえフランスに住んでるわけでもない私には到底分からない。外から見えるより本人たちはアッケラカンと、人が羨むような素敵な関係を結んでいたかもしれないし、外から見えるより複雑な関係だったのかもしれない。カテリーナ・ゴルベワの死因については、憶測で語る心ない記事(個人のブログ記事)もあったが、公式には「死因不明」のまま、先日パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたことが伝えられている。私たちはギョーム・ドパルデューとカテリーナ・ゴルベワという破格の二人を失ってしまった。特別な二人の若すぎる死に接したとき、愛してる、という以外の言葉は私にとって意味がないことを知った。たしかなことは、大切なパートナーを失ったレオス・カラックスが、8月の頭からクランクイン予定と報じられていた新作『Holly Motors』を現在も撮影しているということだ。いまこうしてる間にもカラックスが映画をクリエイトしている。わたしはそのことを信じたいと思っている。


追記*カテリーナ・ゴルベワの最後の出演作は『ふたりのベロニカ』、『あの夏の子供たち』に出演した女優サンドリーヌ・デュマの監督した短編『L'invention des jours heureux』(IMDbには記載されていない)になる。


追記2*レオス・カラックス『Holly Motors』撮影現場のスチールが記事になっていました。パリ、アレクサンドル3世橋にて。
http://www.leparisien.fr/paris-75/paris-75003/leos-carax-a-nouveau-sur-le-pont-22-08-2011-1573723.php


追記3*クレール・ドゥニとは『侵入者』以前に『パリ、18区、夜』で組んでいる。カテリーナ・ゴルベワの特異な「音声(声)」については、レオス・カラックスと共に出演した『977』(Nikolay Khomeriki)でも確かめることができる。