『ピラニア3D』(アレクサンドル・アジャ/2010)


リチャード・ドレイファスが早速ピラニアの最初の餌食となるファーストシーンの、ビッグバンを予感させる大地の轟きのような、素晴らしい波の「蠢き」から始まる『ピラニア3D』は、ジャンル映画としての紋切り型をトレースしつつ、新たな景色を切り拓くことに成功している。先人スティーヴン・スピルバーグや、ジョー・ダンテスペシャルサンクスの献辞)へのリスペクトを散りばめながら、水着の女の子がたくさん出てくる80年代のガールズ!ガールズ!ガールズ!のようなノリを(LAメタルですな)、USメジャーHIPHOPのPV(一部)のようにアップデートするのは当然として、この「ウェットTシャツ・コンテスト」という名のレイヴ・パーティーを、意図のない集団自殺=血の海のように展開させる後半40分〜50分の凄味(壮絶!)の中に、カメラワークやアイディアを含めた、汚れた手をした無実な人々の、バカバカしくもアクロバティックな意匠を盛り込む様は、スペシャルサンクスの献辞を贈られた先人ジョー・ダンテの意匠を正しく受け継いでいる。ジョー・ダンテの映画におけるパニックが絶えず「戦争」を想起させたように、そして其処に絶えずバカバカしいユーモアが盛り込まれていたように、『ピラニア3D』はそれに見事に応えている。ここでのアレクサンドル・アジャの演出力には驚かずにはいられない。



初めてピラニアがアップになるショットで、このピラニアがエイリアンのような造形をしていることに気づかされる次のシーンで、早速、海底探検及び、二人の全裸の女性の水中遊泳(その様子は劇中の撮影隊と窓によってフレーミングされる)が披露される。ここで海底=宇宙は繋がるわけだけど、それとて『ピラニア3D』の持つ豊かさの些細な一幕に過ぎない。レイヴ・パーティーの壮大な崩壊が、すべてを凌駕している。水陸を自在に行き交っていたカメラは、浮き輪で浮かぶ叔母さんのお尻が食いちぎられるのを期に、人々に陸上からの見えない敵との戦いを強いる。警備隊の注意に「うるせー」とばかりに次々に人が海に飛び込んでいく様(ここが素晴らしい)は、さながら壮絶な集団自殺の光景を目にしているかのようだ。まさに歓喜のパーティーと血のパーティーが等価になった次の瞬間、鼻元に残ったコカインの粉のアッパーなテンションそのままに、惨劇は、敵と味方を判別する力さえ失い、水中の見えない敵に対する銃の乱射さながらに、人々は見境なく殺し合う。助け合う者たちと殺し合う者たちが、ひとつの映画空間を血で真っ赤に染める壮大な地獄絵巻だ。


助かりそうなのになんでそんな無茶な方法をとるんだ!?というツッコミどころは、このひたすらアッパーなテンションの前で無用だろう。『ピラニア3D』はレイヴ・パーティーのアッパーなテンション、言い換えれば集団の狂気が良い方向にも悪い方向にも向かい得ることを、おっぱい大会のバカバカしさと等価の、鮮やかな手つきで描いている・・・ホントか?いや、極上のエンターテイメントですよ。