『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』(瀬田なつき/2010)


東京国際映画祭にて瀬田なつき劇場用長編デビュー作。角川映画だろうがなんだろうが瀬田なつきの映画は確固として揺るがなかった。ここには『とどまるかなくなるか』、『むすめごころ』、『彼方からの手紙』、『あとのまつり』で私たちを夢中にさせてくれた瀬田ワールドが全快に花開いている。瀬田監督のヴァリエーションがこれでもか、とこの”処女作”には込められている。ただ今回、瀬田監督は踊ることに禁欲的だと思える。『むすめごころ』の冒頭を鮮烈に彩る女子高生のドアノック(ウソ。窓ノック)→ダッシュを彷彿とさせる本作の冒頭で女子高生は走らない。にも関わらず映画は過去の瀬田作品と同様、踊りだす。映画自体が踊りだす。二人乗り自転車の真っ直ぐな横移動に象徴されるように、瀬田監督の作品には「ミュージカル」が根っこにあるように思える。『彼方からの手紙』の伝説的ともいいたいあのダンスシーンには、まったく新しい才能を感じ、それは『あとのまつり』の路上で踊る少女のこれ以上ない多幸感に昇華され、確かなものとして証明された。ミュージカルを撮れる現代映画作家が、どれほど希少かは未だに生産される数多の失敗作が教えてくれる。その時点で、瀬田なつきは日本の、モトイ、映画の宝なのだ。いまや彼女の代名詞になった感すらあるスクリーンプロセス、あの独特の台詞のリズム、女の子の物投げ、パーカー、ドーナツの輪っかによる入れ子状のアイディア、ドアを開ければここは未来だし過去だ。この作品をポップに彩るなにもかもが、瀬田ワールドのそれだ。プラス、今回のへヴィーなシーンにおける演出の冴えが、瀬田なつきの才能を確固たるものとして、こちら側に焼き付けてくれる。女の子がメチャクチャになってモノを投げる瀬田作品のあの空気の変化、スピードのまま、血生臭い暴力シーンは描かれる。この重さは一見、踊りに適ったものではないものの、踊りが潜伏しているがゆえに残酷さは増強される。


本作の決定的なラストショットは、中国、北朝鮮、果てはアメリカに飛んでいったかもしれない『あとのまつり』のあの風船の行方を引き続き追っていく価値があるということを高らかに告げている。


春ですね/恋をしたくなる季節です/そんな季節はもう過ぎました


次回作の構想を聞かれ「音楽映画」(!)と答えた瀬田なつき監督の腰の座ったしなやかなファースト・ダンスに乾杯!


嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』は来年1月22日公開予定。
http://www.usodakedo.net/


追記*染谷くんの最後の方のナレーションに小沢健二の「ある光」の一人語りのような、あのリズムを感じた。


追記2*ルージュの伝言


追記3*今回の撮影は月永雄太氏。『彼方からの手紙』『あとのまつり』の大ファンとしては撮影は佐々木靖之氏にやってもらいたい。という気持ちは大きいけれど。


追記4*ツイッターに書いたことリサイクルしますが、もし岡崎京子の作品を映画化するなら瀬田なつき以外考えられない。瀬田さん以外の人ではダメだとすら思ってる。機が熟して、いつかそのときが来るのを夢見ているのだよ。瀬田さんは「音楽映画」と共に次は「街を撮りたい」と言っていた。期待が高鳴るじゃないか!