『ゾンビランド』(ルーベン・フライシャー/2009)


チネチッタ川崎レイトにて『ゾンビランド』。上下逆さにされたカメラが燃え上がる星条旗を捉えたそのバックに、ジミヘンが演奏するアメリカ国歌が爆音で鳴り響く、というファーストショットから、この作品の価値を信じていいと思った。このような精神はアメリカの偉大なミュージシャンが反骨の意思を表明した様々な名盤のジャケットデザインを想起させる。たとえば星条旗の星を銃弾で撃ち抜いたスライ&ファミリーストーン。近いところでは星条旗を白黒に塗り替えたアウトキャストやトータス『スタンダード』のジャケットを思い出してもいいだろう。本気でバカを展開する(言うまでもなく本気というところが重要だ)この映画の、「アメリカ」に対する距離のとり方、「天涯孤独なロードムービー」としての「家族の発見」という展開は、何も物語に深みを与えるために取って付けたようなアイディアではない。さらに個人的に最も面白いのは、映画自体が「ハリウッドランド」の様相を呈しているところだ。ゾンビ映画の体裁を借りてハリウッドを破壊する。燃え上がるハリウッド。砕け散るミラーボール。ユニバーサルのロゴが燃え上がる『ゾンビランド』のデザインがそれを表明している。このハ・カ・イ・ショウ・ドウのバカバカしい突き抜け方に打ち抜かれる。



とりわけ遊園地の描かれ方が抜群に面白い。ヒッチコックの『見知らぬ乗客』やトビー・フーパーの『ファンハウス 惨劇の館』といったサスペンス/ホラーの強烈な遊園地の記憶と連なりつつ、サイケデリックではないものの、ここにはアウトキャストが楽曲やPVで描いた遊園地ような、「継ぐもの」の精神、アップデートすることの精神が垣間見える(アウトキャストビートルズの記憶から遊園地とB−GIRLを接続した)。そしてそれは近年流行の「ゾンビのコメディ化」とは一線を画している。「ハリウッドランド」=「ゾンビランド」というところに注視したい。絶叫マシンに乗りながら銃を乱射しまくるウディ・ハレルソンの破壊と、おそらくかつてハリウッドという街に大きな夢を抱えやって来た”ゾンビ”たちの死体が山のように重なっていく、彼らにとっての「二度目の死」。それまでキレキレの頭脳で「生き残ってきた」姉妹が遊園地という明らかに油断した選択をすることからも、ルーベン・フライシャーのやりたいことは全てこのシーンに詰まっている、と言い切ってよいのではないだろうか。それは呆れるほど捨てられたゾンビの死体の山で、「ハリウッド」というかつての楽園を追悼することではなかったか。ビル・マーレイの豪華な屋敷で、4人が空に向かって銃を放つ追悼の仕方が興味深い。このシーンはバカバカしさの裏で何処か心に沁みる。


と真面目に語りつつ、ゾンビの吐く謎の液体や逃げるデブがスローモーションで描かれるタイトルバックから、笑いのツボに入りすぎて爆笑だったのだけどねッ。必見。


追記*ペドロ・コスタの記事の次が『ゾンビランド』でいいのでしょうか。


追記2*ウディ・ハレルソンが好きなのは『ラリー・フリント』の大ファンだからというのが大きいかも。主演のジェシー・アイゼンバーグ最新作はデヴィッド・フィンチャーソーシャル・ネットワーク』です。この作品、予告編を見て以降、いまもっとも期待している映画です。少年少女合唱団の歌うレディオヘッド。泣くよ。来年1月に公開予定。