『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』(ジム・ジャームッシュ/2013)

     


ジム・ジャームッシュの新作は、世界のすべての神経が星空に集められたかのようなショットではじまる。すべてはこの澄み切った夜からしか生まれ得ないのだ、とさえ思わされるこの星空が回転をはじめ、レコードの回転と重なり、俯瞰でティルダ・スウィントンを捉えるカメラもまた回転をはじめる。ここでレコードの回転とは反対の左回りの回転をカメラがすることで、早速このジャームッシュの新作が前作『リミッツ・オブ・コントロール』の延長にあることを知る。『リミッツ・オブ・コントロール』の工藤夕貴の台詞を思い出す。「宇宙には中心も端もない」。定められた回転と逆回転するカメラを同時に見せることで、中心や端を消失していく。回転と逆回転が同じ速度で出会うところ。ふと、この回転が「無」に向かっていることに気付く。たとえば吸血鬼たちが血のワインを飲み干す、あの魅惑的なアップのショットにあったのは官能による陶酔ではなく、流れる時間に抗うことで「無」時間を得てしまったことへの陶酔だ。このとき吸血鬼たちの顔が、ほとんど時間が止まってしまったかのように見えるのは気のせいではないだろう。



ティルダ・スウィントントム・ヒドルストンの美しい二人による厭世的な価値観(此処はモータウン発祥の地でありブラックマシーン・ミュージックであると同時に廃墟な「デトロイト」であるから「ゾンビ」と揶揄するのだが)に対する、カウンターとしてのミア・ワシコウスカの登場に震える。食いしん坊で天真爛漫なミア・ワシコウスカをやさしく見守る、ソファーに座った姉のティルダ・スウィントンの笑み。「朽ちてしまえ!」、と捨て台詞さえ残して去っていく彼女は、前時代的な吸血鬼でありながらティルダ・スウィントントム・ヒドルストンのようには朽ちてしまうことへの恐怖を些かも感じていないように見える。「ゾンビ」(又は、モンキービジネス)の中に在ってもミア・ワシコウスカなら、なんなく生きていけるだろう。一方、厭世的でありながら人知れず(!)迫害されているという奇妙な状況にあるカップルは、ひたすら夜の道を彷徨う。右回りにしか回転しないレコード、或いは、下に落ちることしかできない砂時計(台詞に出てくる)のように、夜の恋人たちは終わりへ向かっていく。では、終わりとは何か?『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は、砂時計の上下がちょうど揃ったところ、星が回転をはじめる前にまで恋人たちを連れて行く。すべてが調和するところ。中心も端もないところへ。傑作!




追記*『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』と同タイトルで、60年代にニコラス・レイローリング・ストーンズ主演で映画化することになっていた企画がある。内容はまったくの別物だけど、この原作から派生した音楽等を考えても繋がりは深いね。「7番目の息子」には笑いました。以下、実現しなかったニコラス・レイ版『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』の記事。


http://www.existentialennui.com/2011/10/only-lovers-left-alive-pan-1966-pat.html


『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』公式サイト。
http://onlylovers.jp/