『海外実験アニメの古典たち 全14篇』


イメージフォーラム・フェティバル2010@横浜美術館にて「海外実験アニメーションの古典たち 横浜美術館所蔵フィルム傑作選」。実験映画の古典を体験する上でよく言われるのは、これらの挑発的な創造が映像史の推移において、どれだけ日常に普遍化されたか、という面なのだけど、たとえ制作当時「挑発」としてあったはずの創造の牙が抜かれた――かのように誤読された――ところで、それは作品自体の輝きが色褪せることとは無関係だ。作品の魂は決して「アイディア」に宿るわけではない。目の前の画面と向き合い体感する時間の中だけに「作品」は生じる。ジョルジュ・メリエスのフィルムを色褪せているという人はいないでしょう。たとえば今回上映されたマルセル・デュシャンの『アスミック・シネマ』のアイディア自体はデジタル技術の現代にとっては容易にすぎる。だけどアナログ技術の想像力はこのアイディア自体にタイム感としてのズレを生じさせる。そここそが面白い。単純にアナログの想像力>デジタルの想像力、ということを言いたいのではなく、宿命として常に途上段階にあるデジタルには、その時代ならではの「ズレ」が生じるはずだし、たとえばオウテカのような、それを逆手に取った想像力を映画のフィールドで実験する方法もありえるかもしれない。さて、今回全14作品を体験したのだけど、とりわけ感銘を受けた3作品を紹介。


上記の画像はアレクサンダー・アレクセイエフ+クレア・パーカー『禿山の一夜』。中世の絵画から出てきたような肉感豊かな人の描線の前に様々な光が当てられる。このダークファンタジーにおいて光は絶えず対象を変化させる。その意味で禿山に登る月は興味深い。闇雲に隠れては浮かぶ月の光の動きに照らされたその幻想性は、ジャン・エプスタンの映画を見ているような超現実感。光の動きという演出が、原始的で未来的なことを改めて知らされる。ホセ・ルイス・ゲリンの諸作に思うことと同じように。超傑作。



こちらはレン・ライの『トレード・タトゥー』。フィルムに独創的なペインティングをするレン・ライの作品では、ラテンのリズムがしばしば用いられる。この作品では「リズムの貿易」が記録映像の刺激的なモンタージュとオプ・アート前夜のような模様のペインティングで披露される。リズムは世界各地の人々の営み、産業を越え「手紙」として可視化され海を陸を空を渡る。ちょっとというか、かなりゴダールっぽい非常に刺激的な実験アニメーション。タイトルデザインからヤバイ素敵。



こちらはスタンディッシュ・ロータ『ランナウェイ』。白黒モニターの中をアニメーションの犬たちが右往左往するだけなのだけど、これが強烈に面白い。犬たちは右に行ったり左に行ったり、端々で止まっては全員で耳をビヨ〜ンと全身に電気が走ったかのようにおっ立てる。このリピートがアニメーション・フィルムとそれをモニターの外から撮ったものとの入れ子構造で撮られている。フィルムの退色やモニターの走査線が目の前の光景全てに徐々に変化を与え、白と黒が反転するラストに打ち震える。


ノーマン・マクラレン『隣人』は「鍵盤の中」のスラップスティックコメディといった趣き。笑いが起きていたし楽しかった。エヴァ・サズの『コズミック・ズーム』はボートを漕ぐ婦人の実写映像からカメラがグングンと引いていって宇宙に到り、今度は逆に婦人の肌細胞までズーミングしていく、という内容。宇宙の塵とと人体の細胞が形状的に等価となる瞬間が描かれる。面白い。


以下、『禿山の一夜』。

以下、『トレード・タトゥー』。超高画質。ちなみにレン・ライはかなりの数の動画が上がってるよ。こうゆう短いの見たいときYoutubeは便利だね。