『Les derniers jours du monde』(アルノー&ジャン=マリー・ラリュー/2009)


輸入DVDにてラリュー兄弟&マチュー・アマルリックの新作。終末的世界を全裸で走りぬけるアマルリックが痛快、という触れ込みや無国籍でビザールな予告編から、かなりの期待を寄せていた本作。結論から言えば、『Les derniers jours du monde』はとてつもなく素晴らしい。ジム・ジャームッシュウェス・アンダーソンとの世界規模の共振。世界各地の映画作家が特別に示し合わせたわけでもなく「ノーリミッツ、ノーコントロール」を体現しているということに感銘を覚える。革命のような民衆の声や歌や、フラメンコギターの甘美な響きに導かれる登場人物の運動は、世界の終わりに華を添える、祝福と追悼の舞踏のようだ。感傷に陥ることだけを拒否する「笑い=叫び」のラストダンス。



窓の外で終末的に舞い散る灰(のようなもの)を追うように宙を彷徨うアマルリックの目。どこか悲痛な決意を伴うアマルリックの義手の接続が迷宮への接続となる。大きな地図を広げ何処へ行くのか分からないアマルリックと、彼が赴く先々で、装われた偶然のように何度も出会う何処から来たのか分からない謎めいた女たち。とても刺激的なスペイン「牛追い祭」のシーン(どこか革命に熱狂する民衆のようだ)のように、追っているのか追われているのか、もはや本人すら分からなくなる旅の道程。アマルリックの役名がロビンソンというところが興味深い。アマルリックはそれが失われた未来へのノスタルジーであるかのように冒険へと繰り出す。夜と昼が自在に入替わる迷宮の中でアマルリックの歩む景色は、それが戦時下の惨事であるかのような様相を帯びる。折り重なる無数の死体。人間狩り。エキゾチックな女性=レティシアへの幻視。この世界=物語=景色との闘争/逃走。



アマルリックは『81/2』のグイドがそうであったように世界に振り回されながら世界を描く。フランス、スペイン、台湾(何故か怪しい”日本”が登場)を矢のような早さで巡るロードムービー(革命の色、情熱の色としての「赤」が強い印象を残す)の果てに、神秘的な女性レティシアの聖性を帯びた導きを「発見」する。アマルリックの「発見」が壁面への(女性の)投射だということを注視したい。アマルリックは彼を巡る女性(娘含む)に出会える/出会えない。アマルリックレティシアのバカバカしくも痛快なラストダンス、世界との衝突=ビッグバン。新たな物語は書かれた瞬間に生成され消滅する。ふと『リミッツ・オブ・コントロール』のガエル・ガルシア・ベルナルの台詞を思い出した。つまり真理とは―――想像の産物なのだ。


追記*『リミッツ・オブ・コントロール』を想起したのはクロティルド・エスム(『恋人たちの失われた革命』ヒロインのあの女優)が金髪のカツラを被っていたことも大きい。とはいえ全然違う映画だけどね。あとアラン・レネ常連女優の登場もタイムリーなサプライズ。山を撮らせたらリュック・ムレかラリュー兄弟かってくらい、収まり方が素晴らしい。