『あの夏の子供たち』(ミア・ハンセン=ラブ/2009)



「これからどうなっちゃうの?」


「大きくなって
大人の女になって
すごく美人になって
恋人ができる」




ライブ前の空き時間に再見したミア・ハンセン=ラブ『あの夏の子供たち』に再度涙した。『あの夏の子供たち』がどういう終わり方をするか知った上で体験すると、改めて劇中のいろんな時間が愛しくなる。たとえば、小さな女の子2人による可愛らしい上演劇。たとえばグレゴワール=父と娘たちの肌と肌が触れ合う何気ない戯れ。上記の台詞は”事件”後に、小さな女の子に向けられる真摯な言葉。涙せずにはいられない「ケ・セラ・セラ」の歌詞と符合している。しかし『あの夏の子供たち』で流される涙の切実さはどういうことなのか。それは「涙の演技」の範疇を超えている。落ち込んだグレゴワールが映画に行くよりも一緒に歩きたいと表明するとき、夫婦はしっかりと手を繋いでいる。人と人が抱擁へと至る時間をミアの演出は省略しない。手を繋ぐことの積み重ねを描いている。前半から繰り返される家族同士の何気ない肌と肌の触れ合いが、演出と気付かせないほどの「ぬくもり」として画面に息づいているのだろう。


そう、グレゴワールが事務所で手に取る脚本には「偶然の家族」とタイトルが打たれている。偶然の家族。または偶然でしかない家族が一つのフレームの中で手を繋ぎ合う、その姿、そのフレームに、激しく心を打たれている。


追記*ミア・ハンセン=ラブのインタビューがNobodyのサイトに掲載されていたのでリンクを貼っておきます。「時間の推移にこそ、私は心震えるのだと思います」。ミア、超キレイ。
http://www.nobodymag.com/interview/mia/index2.html