『L'enfer d'Henri-Georges Clouzot』(Serge Bromberg&Ruxandra Medrea/2009)


輸入DVDでアンリ=ジョルジュ・クルーゾー未完の『L'enfer(地獄)』の残されたフィルムを復元+物語を補足する映像の追加+当事者の証言で構成され世紀を跨いで披露された『アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの地獄』。昨年のカンヌで上映され世界各地の映画祭の話題をさらったこの正しく呪われた作品は、女優ヴェラ・クルーゾーと死別したクルーゾーの復帰作として1964年に制作されたにも関わらず、撮影中に主演のセルジュ・レジアニが倒れ、ジャン=ルイ・トランティニャンがレジアニの役を継いだものの早々に降板、ついにはクルーゾー自身が心臓発作で倒れてしまうという悲劇の連鎖により未完に終わっている。そして主演は伝説の女優ロミー・シュナイダー。ヴェラとの死別からクルーゾー自身の急病まで、嫉妬に駆られた夫の不条理に狂った妄想という物語と並走するように、何から何までが悲劇の亡霊に憑かれている。



残されたフィルムにはフェリーニの『81/2』に強い影響を受けたというクルーゾー自身の言葉だけで済ますことが到底不可能な驚愕の実験が想像力のリミットを振り切るように刻まれている。実験映像の連続、または未来へのインスピレーションの爆弾としての『地獄』は、これまた脅威の予告編(下記参照。とにもかくにもまず予告編を見てほしい)が序の口に思えるくらい本当に凄まじい。出演者カトリーヌ・アレグレが語るように「永遠のコドモ」のようなクルーゾーの実験。これらはニューヨークで体験したオプ・アートの展示(ヴィクトル・ヴァザルリ)に感銘を受けたことから来ているとのこと(ただ調べたらMoMAの展示The Responsive Eye(「感応する眼」展)自体は1965年に開かれているのだよね。以下を参照してください http://bit.ly/cRoaRI)。オプ・アートの眩暈を起こす図形の変化が積極的に取り入れられている。変化は音の変化にまで及ぶ。残されたクルーゾーのノートには台詞の発音が変化していく波形を文字の譜面として起こしたような奇妙な表記が書き残されている(当時クルーゾーはブーレーズの影響を受けていたのだとか)。いろんな音が実験的にミックスされ狂気の集合として爆発してしまうシーンがある。刺激的な実験に満ちた本作をホセ・ルイス・ゲリン展のように、暗闇のスペースに複数のモニターで映したら面白いだろうな、と感じずにはいられない。またロミー・シュナイダーの陰と陽をこれほどコントラスト豊かに捉えた画面も他にないのではないかと思える。『地獄』のカメラの全てが彼女のためにあると言っても過言ではない。クルーゾーの過激なイメージの意匠/衣装を一身に纏うロミー・シュナイダー


同時に完璧主義のクルーゾー自身と撮影チームの心と体は蝕まれていく。湖で妻の浮気(妄想)を発見するセルジュ・レジアニの全力の長距離疾走は計10テイクも撮られたという。このエピソードが完全に常軌を逸しているのは、シャブロル『愛の地獄』(未完『地獄』のリメイク)の同一シーンとは真逆のアングルからこのシーン撮られていることだ(ロケーションも違う)。水上スキーをするロミー・シュナイダーを正面から捉えたショットの奥に、崖っぷちの道を全力ダッシュで走るレジアニを捉えている。むしろよく10回で済んだと思わざるを得ない過激すぎる重労働の撮影だ(撮影はクロード・ルノワール)。シャブロルの『愛の地獄』は間違いなく傑作だと思っているのだけど、このシーンを見た時点で両作に歴然とした差があることは否めない。実験映像の間に挿まれる決定的なロングショット、ワンショットの間でこんなことまでやってしまうのか!?このダイブはスタントなしですか!?というオドロキがクルーゾーの残したフィルムには刻まれている。残されたフィルムの中に坂道を全力で走る男の疲弊し切ったスローモーションが繰り返されるのだけど(全身の筋肉の疲労が非常にダイレクトに分かる)、これと同じように撮影自体が過酷を極めたらしい。



シャブロル版と決定的に違うのは夫婦の経営するホテルと近隣の湖を見下ろす鉄橋の存在だろう。線路に張り付けに縛られた全裸のロミー・シュナイダーの向こうから汽車が走ってくるシーンの壮絶さ(画像参照)。ロミーの叫び。水上スキーにしろホテルのパーティーにしろ鉄橋が超越的唯物的に事のすべてを俯瞰している。先日逝去した名カメラマン、ウィリアム・リュプチャンスキー(撮影第1班でクロード・ルノワールの撮影助手を務めた)によると、レジアニが病で去った後、新たなイメージとして撮影されたロミー・シュナイダーとダニー・カレルのレズシーンを撮影中にクルーゾーは倒れたらしい。それを語るリュプチャンスキーの自身がカメラレンズになったかのような語り口が見事過ぎてドキリとする。


本作には欠点があることも明記しておきたい。欠損したフィルムの物語上の語りのために新たに補足されたシーンの凡庸さは、残念なことにクルーゾー組の残したフィルムから受ける猛烈なクリエーションの勢いを殺してしまう。おそらく慎ましやかに撮ったつもりだろう台本読みのシーンにはロミー・シュナイダーがいないのだから。それでも『地獄』の凄さは損なわれないだろう。クルーゾーは一体なにをしようとしていたのか。完成していたらトンデモナイことになっていたと思わせるだけの圧倒的な想像力が此処にはあった。常にモニターに映しておきたいくらいカッコいい!日本での上映または展示切望。


以下、『L’enfer d’Henri-Georges Clouzot』予告編。


追記1*水上スキーのシーンに『ポンヌフの恋人』(レオス・カラックス)を思い出した。思い返せばあれも”愛の地獄”の映画だったね。


追記2*このDVD(英盤)には「They Saw The Inferno」というアウトテイクが含まれている。『囚われの女』撮影時のクルーゾーや文字通り残されたフィルムのアウトテイク、関係者インタビューのアウトテイクで構成。まだまだこんなに残ってるんなら本編で使って欲しかったという気も。こっちも面白いです。


追記3*音響設計のノートも凄いけど、もっと素晴らしいのはクルーゾーの絵コンテ!とても美しいデッサンですね。

愛の地獄 [DVD]

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