『オルエットの方へ』(ジャック・ロジエ/1971)


ユーロスペースジャック・ロジエのヴァカンス」にて『オルエットの方へ』。女の子3人組の無邪気な笑い&ショートコントが全編を支配する。この笑いはボケをかましておいて思わず自らのツボに入ってしまった人の笑いとよく似ている。そんな笑いが一瞬たりとも自閉することなく、スクリーンの前の観客と愉快な共犯関係を結ぶところにロジエ演出の聡明さを感じる。ものすごく確信犯な悪戯っ子というか。また窓及びドアの開閉や階段といった映画を豊かにさせるベーシックなアイテムの使い方、そのアッケラカンと開放する鮮烈な更新ぶりは、まるで生まれて初めて見る映画のようにこちらをドキドキさせる。この作品の何もかもがフレッシュだ。何もかもが一瞬の輝きに賭けられている。二度と戻らない季節、夏休みの終わり。かつて人がそれを「青春」と呼んだように。


全力で砂浜を駆け抜けるジルベール(イジラレ役の男性)を見て、何かが起こる予感は十分に感じていた。画面奥へ女の子2人を乗せ進むヨット、手前に向かってくるジルベールとカナヅチのカリーン、というこれ以上望めない完璧なロングショットには活劇的な予感が満ち溢れていた。が、しかし、ここまでギリギリのパフォーマンスが繰り広げられるなんて一体誰が予想できるだろうか。Twitterでどなたかが呟いていたように、『デス・プルーフ』後半戦のようなギリギリのアクションが、ごく普通の女の子によって展開される。このアクションすらこの作品を形成する一瞬の輝きの一部でしかないところに至福の贅沢さがある。ジャック・ロジエの映画は真の意味でデラックスなのだ。



興味深いのはその場に3人以上いるとき人は道化に徹するものの、2人になった途端、会話がマジメになってしまうという点。結局のところ道化もシリアスも裏表、一つだ、ということだろうか。映画の冒頭で心地よく開け放たれた窓は、夕暮れ時を過ぎ、肌を切るような冷たい強風のなか、閉じられる。ここで放たれる台詞、また、ジルベールが去ったあとキャロリーヌが流す一瞬の涙に心を打たれた。最低のヴァカンスと最高のヴァカンスが常に隣り合わせだったことを彼女たちは潜在的に知っていた。バカ騒ぎの隙間に挿す一瞬の沈黙の中で。涙さえ流さないジョエル(ジルベールが恋する女性)のアップ、その沈黙から滲み出る喪失に、奏でるべき音符を失った音楽が追悼する。なんと美しい作品だろうか!


追記*ヴァカンス先のカフェの女性店長が好きです。カッコいい。オルルゥゥエット!