『Camarades』(マラン・カルミッツ/1970)


輸入DVDでマラン・カルミッツ長編第2作『Camarades』。先の長短編が「夜を彷徨い歩く夢遊病者の映画」だったのに対し、68年5月革命以降に『同志』と名付けられた本作は、かつて夢遊病者を囲っていたモラトリアム的な障壁が実際の運動へ向けて決壊する様が描かれている。主人公をある意味で守っていたともいえる、柔らかいベールのようなフィクション性は、労働者階級のドキュメントに紛れ込むことで消失する。港町サン=ナゼールの造船所で働きながら、此処ではない何処かへ行きたいと理想を抱くジャン=ポール・ジケル(ジケ?)とジュリエット・ベルトの若い恋人同士が小さなボートで河を行く夢幻のショットは、二人の最後の別れとなる。この美しいシーンは甘美なフィクションの世界への惜別をも意味しているのだろう。



労働者を赤い色で匿名的にくり抜き、実写の警察権力と対峙させるアジテーション的な予告編では、赤い液体が青と白のキャンバスにゆっくりと流れ込み、それはやがて血で彩られたトリコロールを形作る。夢幻の旅を終え、未来の退屈に別れを告げた地方の恋人たち。主人公はいざ革命のパリ、血の世界へと出発する。列車での移動。ボヘミアンの如く移住を繰り返す主人公、という点がカルミッツの作品を貫いているのかもしれない。ただこの主人公の選択は、いつの間にか時代に巻き込まれた「意思」へと変わっていく。


パリでの生活は理想からは遠く全てが感情を排した流れ作業の如く並置される。やがてマルクスの肖像の前で労働争議が始まり、ここで労働反旗のフィルムが上映される。このフィルムの権力者と労働者との腰上ショット切り返しが不自然に繋がれていることは、反体制の側からのプロパガンダを表わしているのかもしれない。熱狂的なサッカースタジアムのような高みに達した合唱が鳴り響き、扉は開かれ、一斉に労働者たちが飛び出す(これは冒頭のサン=ナゼールの街と差異をつくる反復となる)。ストライキ、デモ行進。この時点で主人公の個は完全に消失し、民衆の力の一部となる。


シネマ・ヴァリテ的なインタビューの挿入や風刺漫画のユニークな使い方などゴダール作品との共通点を思うものの、その闘争の手法がまるで異なっているところが興味深い。『万事快調』のセットのバラシ&横移動&長回しが、ここでは造船工事(天井がない)の俯瞰移動&長回しに。何よりその闘争の方法が根本的なところで違う気がする。最高傑作といわれる『Coup Pour Coup』を見て考えたいところ。


追記*ジュリエット・ベルト出ずっぱりの作品だと勝手に思いこんでいたのだけど、前半で退場はちょっとせつない。ただ、衣装はここでも素敵です。画像はショップウィンドウ越しのジュリエット・ベルトというカッコよいショット。見辛くてスミマセン、、。