『Nuit noire, Calcutta』(マラン・カルミッツ/1964)


輸入DVDでMK2創業者マラン・カルミッツの監督作品。こちらの短編は脚本マルグリット・デュラス、主演モーリス・ガレルという並びから、当時の野心に溢れた闘争・連帯を背景に感じさせる処女作。DVD−BOXにはモーリス・ガレルがナレーションを務めるオリジナルと、同じ言葉をデュラスの声が紡ぐ2つのヴァージョンが収録されている。聞き比べてみたところ、主演者自身が語るオリジナルもよいのだけど予想通りというべきか、デュラスの声が持つ肌触り、引力のようなものに聴覚は吸い寄せられる。一歩引いたところから発せられる声が「不在」というデュラス的テーマに、より似つかわしいように思うのと、オフの声と対象との反射の仕方に豊かな反応が生じているようにも思える。


このイマジネーション豊かな短編は文筆家であるモーリス・ガレルが「言葉」を探す夜の果ての旅とその不可能性を描いている。モーリス・ガレルは部屋から一歩も出ないまま「言葉」を探すため夜を彷徨い歩く。向かいに住む女性の窓が開け放たれカモメと静かな波の音が聴こえる、というなんともデュラスらしい窓枠の世界が展開されるのをはじめ、この短編は記号×記号による飛躍の連続で構成されているものの、夜を彷徨い歩くモーリス・ガレルが実体なき身体なように、そのポエジーは着地だけを拒んでいるかのようだ。足のない散歩とでも言うべきか。


「フレーズ」を探しているモーリス・ガレルはイマジネーションの中、向かいに住む女性を尾行する。女性がトランクに荷物を詰め、何処か遠くへ旅立とうその時、二人は初めて会話を交わすわけだけど、「何か知りたいこと(=フレーズ)はある?」と問われるモーリス・ガレルは何も答えることが出来ぬまま、沈黙を携え夜の闇に消えていく(本当にフェイドアウトしていく)。海辺に近い広大な砂丘で擦れ違いを続ける二人のイメージ。遠きカルカッタに思いを馳せながら立つべき土地と言葉の喪失、探求の不可能性が黄泉の懐かしさと共に浮かび上がる。美しい。