『野獣たちのバラード』(ミハイル・ロンム/1965)


アテネフランセ「ロシア・ソビエト映画史縦断 1943-1995」にてミハイル・ロンムの作品。この作品の肝となるのは、記録映像のニューヨーク編、キャブ・キャロウェイのジャイヴのショウで奔放なリンディホッピングを踊る”大衆”の無垢なる幸福なイメージが、ナチス政権下のドイツで皆で肩を組んでは歌を唄う”大衆”の牧歌的なイメージと相似形にある、というところで、ミハイル・ロンムが導き出すのは「映画や音楽が戦争に貢献し得ること」への痛烈な指摘に他ならない。歴史を紐解くまでもなく映画や音楽の持つ”大衆”を動かす力が「ラブ&ピース」の一方にだけ振れるなんてことはありえず、戦意昂揚の為、戦場で大量のレコードがヘリからバラ撒かれた(Vレコード。Vはビクトリー=勝利)とか、音楽が戦争に利用されたケース、そして数多のプロパガンダ映画が作られたという”遺産”は、その強大な力が使い方次第で真逆の方向へも向かえることを示している。”大衆”はいつでも”野獣”になりえる。其処に対するイメージ批判、検証が作品を通して行なわれる。アドルフ・ヒトラーが名演説のパフォーミング、そのアクションを必死で獲得しようとしたことが、数枚に渡る静止画のアクションで示される。何十万人にも及ぶ壮大な松明行進は本当に美しい、しかしその美しさは何に貢献しているのか?ひどく俗な例でいえば、何処かの芸能事務所に独占されたメディアの作り出すイメージが私たちの日常には溢れているわけで。イメージの検証はむしろ現代人が失いつつあるものだ、ということを意識しなければならない。