『イニスフリー』(ホセ・ルイス・ゲリン/1990)


瀬田なつき監督『あとのまつり』のレビューが続々と出ていますね。ホセ・ルイス・ゲリンシルビアのいる街で』と瀬田なつき『彼方からの手紙』をスクリーンで体験したことは私にとっても昨年の最重要トピックでした。新しい映画。新作、すごく楽しみにしています。




輸入DVDでホセ・ルイス・ゲリンイニスフリー』。ジョン・フォードによる世紀の傑作『静かなる男』(1952)の舞台となったアイルランドイニスフリーを取材したドキュメンタリー。しかし当然ながらこの実験的な映画作家の創る作品が「ドキュメンタリー」や、まして観光映画の枠に収まりがつくわけもなく、ここでも複数の視線が美しい多層構造のレイヤーとなって、その間を自在に行き交い、というより目的がいつの間にかすり替わる彷徨を繰り返し、見る者を幻惑する。


『静かなる男』でジョン・ウェインが降り立つ駅があの賑わいとはほど遠い寂びれた無人駅として登場する。『静かなる男』の台詞だけがステレオから聴こえる。駆け抜ける2頭の馬、いざ、イニスフリーへ。かの作品の思い出を楽しそうに話す老人、無邪気な子供たち(どうやら『静かなる男』が村の財産として根付いているようだ)。ポツンと置かれたジョン・フォードのディレクターズチェアーがイニスフリーの牧歌的風景に孤独に威厳と哀愁を漂わせる。ジョン・ウェインモーリン・オハラが歩いた川沿いの道を男女が歩く(後方に「監視人」←『静かなる男』の名シーン)、男女は唐突に走り出し自転車に二人乗りのまま緑の中を開放的に駆け抜ける。この「再演」は中学生くらいの少年少女でもう一度繰り返される。イニスフリーの村全体を巻き込んだ暴動/決闘が行なわれた草原の広場で演奏会が行なわれる。小学生くらいの少女たちが無邪気に踊るシーンが美しい。まるで妖精のよう、幻想的ですらある。そしていつの間にか取材や再演に奇妙なズレが生まれていることに気付く。オーバーラップで立ち現れるモーリン・オハラ、『静かなる男』を再演する村人、イニスフリーの日常。ジョン・ウェインが投げた帽子を受け取った少女(現在)が自転車で橋を駆けるシーンがスクリーンプロセスで描かれる。モーリン・オハラが現在時制で召喚される。ゲリン一行が村を去るラストシーン、『静かなる男』でも主な舞台となった村人の集まるバー「コーハン」の前で、少女が可愛らしいステップを踏み続ける姿が遠くに消えていく。美しい!