『チェンジリング』(クリント・イーストウッド/2008)


「地獄へ落ちてしまえ」


死刑の迫る児童猟奇殺人犯の胸座を掴んで凄まじい迫力でこう繰り返すアンジェリーナ・ジョリーは単なる凄味を超えて聖性を宿しているとさえいえる。革命が遂行される。しかし個人の問題はいつの間にか社会の問題にすり替えられる。アンジーは革命に利用されたか弱き一市民に過ぎない。ここでも個人だけが置いてきぼりを喰らってしまう。そのことに最初から充分に自覚的だったアンジー。彼女はすべてを了解している。その強さ。あらゆる権力に悪意の眼が向けられたこの作品にあって(あからさま過ぎるほどだ)、やはり世界の全てに悪意の眼を向ける猟奇殺人犯が、傍聴席に座るアンジーを指し「この人だけは立派だ」(この人を見よ!)と言い放つシーンが素晴らしいのは、この瞬間、善と悪が彼岸に立たされるからだ。そして長い長い闘争の果てに彼女が発見した言葉がついに彼女自身の口から零れ落ちるとき、『ミスティック・リバー』の非情なまでに素知らぬ顔をした朝の街ではなく、モノクロームで描かれた街(冒頭=映画)の中へ、その感動的な言葉を携え消えていくアンジーは天使に他ならない。アンジーだけが天使になることが許される。それは必然なのだ。そして彼女の漏らすその聞き慣れた言葉は、今はじめて此処で意味を発見されたかのような清らかな輝きを帯びはじめる。そのことに深くとても深く涙した。アンジェリーナ・ジョリー、いくら賞賛しても足りないくらい素晴らしかった。そしてイーストウッド、あなたの作品は圧倒的だ!


追記*たくさん強烈なシーンはあるのだけど一つだけ書いておく。殺人犯の相棒=少年に埋めた遺体を掘り起こせと命じる大人。このエゲツないシーンは強烈な哀しみに満ちている!