『オフィスキラー』(シンディ・シャーマン/1997)

オフィスキラー [DVD]

オフィスキラー [DVD]

ちょっと時間が経ってしまいましたが青山真治氏による『ベンジャミン・バトン』評を読んだときは一気に視界がブワァーと開ける思いに至りました。嗚呼なるほどォ!と深く頷くだけでなく思わずグッときてしまった。ひとつひとつ言葉を噛み砕くように読む。たしかに開巻早々の娘に日記を読ませる形式を見るにつけ、この調子でいかれるとちと辛いなと思ったのだけど、これを敢えての選択、そして現在唯一の説得力ある方法だと論を展開する青山氏。キレキレだ。


閑話休題



最近伊藤俊治氏の本を何度目かの再読中で、セルフポートレートで自らの身体を晒すことが逆に「私性」からどんどん乖離していく写真家/アーティスト、シンディ・シャーマンへの関心が急激に湧いてしまい、彼女が唯一撮った長編映画、未見の『オフィスキラー』をVHSで見る。右の画像は「アンタイトルド・フィルム・スティル」シリーズから「Untitled Film Still#6 1977」。


で、『オフィスキラー』なのですが、正直あんまり期待してなかったのですが、これがスゴク面白い作品でびっくり。70年代半ば、田舎から出てきた際、ニューヨークの暮らしに馴染めず、名画座でB級ノワールやミュージカル、ゴダールフェリーニの作品を浴びるように見ていた、と語るシャーマン。古典映画の女優の記憶を手繰り寄せるかのような彼女のセルフポートレートは”ワンフレーム・ムービー・メイキング”と評されたそうです。なるほど、この殺人オフィスの入ったビルの外観の紋切りを逆手に取ったような特異な撮影、これは紛れもなく映画なのだ。受話器を持った女の口元アップ、顔の選び方なんかはリンチ的かもしれない。


暗闇のオフィス、コピー機の明滅が女社長の顔を照らすシーンは、これから起こる惨劇を不吉に予告している。冴えないベテランOL(主人公)がオフィスで殺した同僚の死体をコレクションするのだけど、ソファの両脇に死体を並べて3人で古典映画を見るシーンが強烈だ。ここで死体はオブジェ=人形と化す。爪を剥いだり、切り取られた手で猫と遊ぶシーンなど、かなりエグイ、エグすぎる。主演のキャロル・ケインの芝居(目の動きが変)もギリギリのラインを保っているのが巧妙。メチャ怖いです。彼女が美しいファム・ファタルへと変身する開放的なラストに痺れた。映画と個人を巡る記憶のチェーン状のリアクションを呼び起こす。もっともすべては彼女の虚言・妄想こそが見る者の記憶に揺さぶりをかけているのかもしれないけど。