『トウキョウソナタ』(黒沢清/2008)


トウキョウソナタ』の次に見る映画は『トウキョウソナタ』しかありえない、という感じになってしまい、早速恵比寿ガーデンシネマにて2度目。


冒頭の嵐、小泉今日子は一旦窓を閉めて部屋に入ってきた雨を拭きとり、しかしまた窓を開けてしまうのだね。ここで彼女は自らの意思をもって外部の風を内部に吹き入れてしまう。いままでの黒沢映画にとって風は「予感」であり「予兆」であったことを考えると、彼女の能動的行為は大変に興味深い。また「三時間前」として繰り返されるデパートでの香川照之小泉今日子の「偶然の」鉢合わせのあと、小泉今日子は今まで結っていた髪を解いて、車の屋根すら開いて(オープンカーに変身)、何かに突き動かされているかのような迷いのなさ(デパートの駐車場を出た車がオープンカーに変身し、いざ発進するまでの見事な呼吸と撮影)で海岸=この世の果てまで、全身で風を受けとめながらドライブをする。というのもさらに興味深く、直接肌で外気を浴びることを選んだ彼女だからこそ、彼女を照らす夜明けの光に、より一層の感動が生まれるのだな、と思った。ここでハシモトカズマサの音楽に紛れるように小泉今日子の吐息が被っているという音響操作が実に素晴らしい/新しい。また今回、「見て、星が見える、あんなに低いところに」の台詞には本当に泣かされてしまった。


「これは本当にこういう素晴らしい演奏です。ただ、お兄さんはいま戦場にいますからね」(Nobody issue 28での黒沢監督による発言)


アカルイミライ』におけるラスト、表参道を歩く少年たちの上に被さる一際美しいタイトルクレジットのように、今度は私たち観客の側から「トウキョウソナタ」と呟き補完することで、それぞれがそれぞれの感動を劇場から持ち帰る。なんと美しい映画だろう!


何度でも劇場に駆けつけられたし。