トウキョウソナタショック

トウキョウソナタ』という映画は「傑作です!はい次ッ」とはいかない作品で、3日経った今も様々な感慨が増していくばかり、感動すると同時にもの凄く落ち込んだり、いやいや勇気を持って生きなければならないのだ。と心に誓ったり。『トウキョウソナタ』に描かれているトウキョウがとても他人事では済まされない(戦時下のような『トウキョウソナタ』を他人事だと思える人がむしろ稀少な世の中に今私たちは生きているのだ←しかし稀少性は良い意味でも悪い意味でもない)ばかりか、この吹き飛ばされた感覚の所以はやはり映画、映画、なによりも映画、映画以外の外部を巻き込んだ上での映画、私たちが今最も必要としている映画、その強度にあるのは間違いない。9月30日付けの日経新聞夕刊で黒沢清氏が大変興味深い発言をしている。言葉の力強さもそうだが、言葉の裏に隠された氏のスケールの大きな思い(願い)に感動してしまった。日経新聞なんて読めないよー、という方のため発言のみここに載せておく。


「米同時多発テロ以降、現実の世の中が本当にぶっ壊れつつある。社会の一員として僕にも責任がある。」
「子供のころの未来といえば二十一世紀。いつか誰かが導いてくれると信じていた未来がこれだったとは思いもしなかった。」
「(だからこそ)映画で未来を作り直したい。」
「若い世代に『いい年した人に未来を考えてもらわなくて結構。僕らがちゃんとやりますから』と言われそうだけど、まだ僕も参加させてよ(笑)」


Re-TATTAKAさんの記事が大変示唆に富んだ素晴らしい考察なので以下に。
http://d.hatena.ne.jp/Re-TATTAKA/20081002