『トウキョウソナタ』(黒沢清/2008)


アカルイミライ』の浅野忠信=テロリストは勤め先の上司の家に招かれた食事会の帰り道、オダギリジョーに向かって不意に「そのうち嵐が来るぜ」と不吉な予言をする。08年『トウキョウソナタ』の冒頭で吹き荒れる「嵐以後」の世界(それは空爆後の焼け野原のようだ)が、いよいよ戦時下に巻き込まれてしまった家族の離散と集合を描くとき、明け方の海岸で途方に暮れる小泉今日子の顔にゆっくりと「もうひとつの光」を当てるような希望に溢れた眼差しで、黒沢清は未来を生きる子供に音楽を奏でさせる。願わくばこの映画が/この音楽が、できるだけ多くの人たちに、なにより未来を生きる子供たちに!届いて欲しいと心から願った。


脚本も含め、あまりにも魅力的で繊細、且つユーモラスな細部を備えた作品なので、それをひとつひとつ挙げていったらキリがない。なのでこれだけはどうしてもという1点だけ。「顔の皺も隠さず全部そのまま撮ってしまってください」と黒沢監督に提言したという小泉今日子のまなざしが持つ圧倒性について。アメリカ軍に志願した長男との別れのシーン「離婚しちゃえば?母さんまだまだいけるよ」という息子へのリアクションと、その後の「母親役もたまにはいいものよ」の台詞でこぼれる彼女の微笑み。ピアノを続けたい息子に非道な暴力を振るった香川照之に向けるまなざし。「権威なんて潰れちまえ」と彼女は言い放つ。そしてあらゆる権威がゼロにされた夜の海岸、波打ち際で途方に暮れる彼女に当たる光、あれは「新しい夜明け」の光だろうか。小泉今日子を長めに見つめるカメラに涙が溢れた。なんと素晴らしい女優だろうか!


何度でも劇場に駆けつけられたし。