『WANDA/ワンダ』評

WANDA

CINEMOREさんにバーバラ・ローデンの伝説的な作品『WANDA/ワンダ』評、「結末を拒否するヒロイン、終わりのない彼女の物語」を寄稿させていただきました!

 

cinemore.jp

 

アンスティチュ(旧日仏学院)で無字幕で見たのが『WANDA/ワンダ』との出会いでした。配給のクレプスキュールさんに心からの敬意を。

 

バーバラ・ローデンとデルフィーヌ・セイリグは同い年。『WANDA/ワンダ』と『ジャンヌ・ディエルマン』はどこか共振していると思います。

 

リサーチのために読んだナタリー・レジェによる著作『バーバラ・ローデンのための組曲』は、批評でこのようなことができるんだ!と驚きの連続でした。『WANDA/ワンダ』についての批評でありながら、バーバラ・ローデンの伝記であり、調査の日記であり、映画史と文学史を横断しながら、著者の個人史とも深く交わっていく、、、。指標にしたくなるような美しい本でした。

 

以下、バーバラ・ローデンの言葉を中心に少しだけご紹介。

 

WANDA

「彼女は閉じ込められていて、決してそこから抜け出せない。彼女のような人は何百万人もいる」

 

「間抜けなブロンド、ある種のオブジェであることに囚われていました。自分のことを何とも思っていなかったから、その役割を演じることに屈していました。自分が何者なのか、何をすべきなのか、まったく分からなかったのです」

 

「この映画ではあまり物事を説明しないように、あまり露骨にならないように、あまり言葉を発しないようにしました。あまり言葉を発することもできず、自分の状態にさえ気づいていない人たちをテーマにしました」

 

ニューウェーブではありません。昔からのやり方なのです。昔はそうでした。カメラを持って、外に出て撮影をする」

 

「私は地方出身です。人々は大変な思いをしています。身の回りのことを気ままに観察している暇はありません。その日その日を生きることにしか興味がないのです」

WANDA

「広々とした野原の向こうに、息子と一緒にラジコンの飛行機で遊んでいる男がいました。バーバラが”あれで何かできないか?”と言ったのです。私はそのアイデアが気に入り、”やってみよう”と答えました。”戻ってこい!”と叫びながら、飛行機に向かって手を振りました。車の上に飛び乗って、空に向かって腕を広げました」(マイケル・ヒギンズ)

 

「私にとっての奇跡はバーバラ・ローデンの演技にあるのではありません。私は彼女のことをよく知りませんでしたが、映画の中の彼女は生前の彼女よりもずっと自分らしいと、そう思えました。生前の彼女よりもさらにリアルで、完全に奇跡的な存在です」(マルグリット・デュラス

 

「はっきりさせておきたいことがあります。私がこれをやるのは彼女が女性であることや私が女性であることとは何の関係もないということです。もし男性がこの映画を作ったとしても、私は同じように立ち上がるでしょう」(マルグリット・デュラス

 

最後にとても好きな言葉を。Sense of Cinemaにも掲載されている『WANDA/ワンダ』批評の決定版「For WANDA」(Bérénice Reynaud)で引用されている美しい言葉。

 

「粒子であること。芽であること。未完成の歌であることに高揚している映画」(テショメ・ガブリエル)

 

『Suite For Barbara Loden』についても余裕があれば次回。

 

『WANDA/ワンダ』は絶賛公開中!

映画「WANDA」オフィシャルサイト