『ジャンヌ・ディエルマン』とシャンタル・アケルマン

JEANNE DIELMAN 23 QUAI DU COMMERCE 1080 BRUXELLES

シャンタル・アケルマン映画祭が盛り上がっているということで、キネマ旬報さんに執筆した『ジャンヌ・ディエルマン』評、告知記事の続きをサクッと。

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『ジャンヌ・ディエルマン』では、皿洗いと殺人の「身振り」が同等に置かれています。そしてマルグリット・デュラスは、この作品のラストが気に入らなかったそうです。しかし「同等」にすることにこそ意味があったというアケルマンの反論は、とても支持できるものです。というのは、映画の身振りにおける「ヒエラルキーの最下層」(*アケルマンの言葉)に置かれていた皿洗いを、映画の身振りのメインストリームに置かれているものと「同等」に引き上げる必要が、彼女(たち)にはあったから。『ジャンヌ・ディエルマン』は、出来事の同等性に関する映画でもあります。

 

シャンタル・アケルマンとデルフィーヌ・セイリグは、生い立ちの境遇こそ対照的ですらありますが、二人とも若い頃ニューヨークに留学しているという共通点は見逃せません。この頃、セイリグは写真家ロバート・フランクの『プル・マイ・デイジー』に出演しています。リー・ストラスバーグの学校で演技を学んだセイリグは「自分自身を楽器として意識することができるようになった」そうです。この発言は、自作自演の映画を作っていた初期のアケルマンの「私の俳優としての役割は、その舞台装置の一部になることでした」という発言と共振します。

 

Making of Jeanne Dielman

そしてアケルマンの実験的な映画『ホテル・モンタレー』を称賛したセイリグが、『ジャンヌ・ディエルマン』を実現させます。当時のセイリグには、「女性の苦労がわかるような映画を、ほぼ女性のスタッフで作っていきたい」という発言が残されています。両者の思惑は一致している。サミー・フレーが撮ったメイキングは緊張感がすごいですけどね(セイリグ様、ちょっと怖い)。撮影時、アケルマンは若干24歳です。アケルマン、凄すぎます、、。

 

アケルマンの言葉は彼女の映画から受ける印象とは違い、感覚的な発言が多いのも面白いところです。『ジャンヌ・ディエルマン』は、とりわけ構造的な作品ですが、彼女の言葉に関してはとても感覚的。人生を語っていることが多い印象です。これが「(批評的な)制度」に回収されるくらいなら、敢えて「いいえ」と答えるアケルマンの抵抗なのかどうかは分からないのですが。

 

以下、アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン』に関する言葉を。

 

「いつ、なぜ、どのようにカメラを置くのか。どのショットにも迷いはありませんでした。このような感覚を持ったのは初めてです」

 

「フレームの真ん中で、彼女の人生を歩ませてあげました」

 

「女性を100個に切り刻んだり、アクションを100個に切り刻むことを避けるためです。注意深く見て、敬意を払うことです。フレーミングは、空間と彼女、そしてその中での彼女のジェスチャーを尊重するという意味です」

 

「最初の頃、特に『ジャンヌ・ディエルマン』では、多くの人が私のことを理論家だと思っていたようです。まったく逆です。その後、人々が私に会うと、そのことに気がつくのです。たとえば『ジャンヌ・ディエルマン』は実時間で動いていると誰もが思っていましたが、実時間の印象を与えるために、時間は完全に再構築されていたのです」

*編集で切るタイミングは「感覚的なもの」とのこと。

 

「『ジャンヌ・ディエルマン』を撮り始めたとき、当初はどんな映画になるのか意識していませんでした。既に全部脚本に書いてあったんですけどね。最初のデイリーを見たとき「この映画は三時間二十分か四十分の長さで、少しずつ発展していくのだ」と気づいたのです。たとえば、彼女が二回目に男と寝て、何かが起こると感じるとき、ショットの長さは以前とほとんど変わらないのに、見る人の中に確かな加速度があります」

 

↑ この見る人の中の「加速度」という発言は、まったくそのとおりで、とてもとても面白い!!

Je Tu Il Elle

以下は、アケルマンの発言をランダムに。

 

「映画に出てくるクレアという女の子に会いにブリュッセルまでヒッチハイクで帰ったり、ヒッチハイクで拾ってくれたトラックの運転手といろいろな冒険をしました。危ないけど、当時はそうやって生きていました」

 

「確かに私の傾向はロベール・ブレッソン的なのかもしれませんが、メロドラマという逆の道を歩むことで、同じ場所、本質的な物質性に到達することができると思います。ブレッソンダグラス・サークは、相反する二つの道が最終的に出会います。『スリ』のラストショットは、ダグラス・サーク作品のラストに置かれてもおかしくありません」

*アケルマンがブレッソンの映画に出会ったのは本人曰く25歳のとき

 

「私にとって(アニエス・ヴァルダの)『幸福』は、最も反ロマンティックな映画です。アニエスとその話をしたのですが、彼女は賛成してくれませんでした」

 

「私の映画はもっとセンチメンタルだと思う」

 

「24歳のときに『ジャンヌ・ディエルマン』を撮りました。当時は、”自分が映画に求めていたものにたどり着いた、そこにいるんだ”という感覚がありました。そして、その次の作品では、同じことを繰り返すのではないか?飽きられてしまうのではないか?と心配になりました。それがずっと怖かったのです。そして今、『囚われの女』が私の初期の作品と非常に似ているということを、ユーモアと共に見ています」

 

シャンタル・アケルマン映画祭は絶賛開催中!!

chantalakerman2022.jp