『二人の殺し屋』(ラウール・レヴィ/1965)
輸入DVDにて”奇跡の映画を作った男”=ラウール・レヴィの監督作品。プレ・ヌーヴェルヴァーグ期にロジェ・ヴァディム&ブリジット・バルドーを発掘、『素直な悪女』を大ヒットさせたことや(『素直な悪女』はトリュフォーやデュラスに擁護された)、ゴダールの友人であり、『彼女について私が知っている二、三の事柄』に出演したラウール・レヴィ。「猟銃の弾丸を腹にぶちこんで血みどろになって息絶えた」、又は、「ジャンヌ・モローに狂ったように恋をし、絶望して手首を切って自殺を図った」、激情、であり、劇場(型)の人生を送ったレヴィのエピソードについては、山田宏一氏の名著『友よ映画よ わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』を確認してほしい。アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの大ファンだったレヴィは、バルドー主演の『真実』、そして未完の『地獄』(!)の制作者だ。
『二人の殺し屋』には『アルファヴィル』前夜といった趣きがある。闇夜の舗道に殺し屋の白いコートが舞うファーストショット(ロングで去っていく殺し屋の背中が素晴らしい)をはじめ、各フレームの切り取り方に、ネオンの街を未来都市のように捉えた『アルファヴィル』と同種の設計を感じずにはいられない。エディ・コンスタンティーヌの出演やラウール・クタールの撮影といった『アルファヴィル』組の草稿段階、準備期間というべきか。夜の未来都市的な撮影が『アルファヴィル』なら、屋外の広さ、屋外の自由を感じさせる昼の撮影は『はなればなれに』だろうか。又、エディ・コンスタンティーヌの恋人エルザ・マルティネッリの髪型は、どこかアンナ・カリーナを想起させる。『アルファヴィル』+『はなればなれに』。映画は夜の物語と昼の物語でちょうど半分に分けられている。『二人の殺し屋』にはゴダールの二つの傑作に挟まれた「草稿」ならではのオモシロさがある。
コンスタンティーヌ暗殺へ向かう二人の殺し屋は計画の中止を知らされない。殺しの目的はその意義を奪われ同語反復のように(殺しは殺しである、のような)走り出す。意味を剥奪されたロードムービーの背景に、夜の未来と昼の自由が渇き切った景色として流れる。移動と事件のディテールの懲り方が殺し屋2人の虚ろな旅に拍車をかける。殴り倒した男をシャベルカーのシャベルに放り込む無駄なオモシロさ。出色はやはりラストシーンだろう。果てのない荒野のようなロケーションの中で、一転二転する銃撃戦が披露される。撃たれる前にコンスタンティーヌが言い放つ「So What?」という声の響きが反響するような銃撃戦。白い馬が悲鳴を上げながら駆け出し、全身を炎に包まれたコンスタンティーヌが、泥の沼に体を投げる。乾いた銃声がだだっ広い地平に響き渡る。それは「So What?」という、世界への開き直りとも世界への悪意とも受け取れる言葉を代弁しているかのようだ。素晴らしい。
追記*のちにゴダールはレヴィに捧げるように『JE VOUS SALUE MAFIA』をもじった『JE VOUS SALUE MARIE』を撮っている。
追記2*大事なことを書き忘れた。2人の殺し屋が立ち寄ったバーのモニターには『素直な悪女』でバルドーが踊るラテンダンスのシーンが流れています。このシーン素晴らしい。
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