『真実』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー/1960)


輸入DVDでアンリ=ジョルジュ・クルーゾーブリジット・バルドー『真実』。プロデュースはクルーゾーに心酔する狂人ラウール・レヴィ。撮影中にクルーゾーがバルドーに夢中になってしまったことが、ヴェラ・クルーゾーの服毒自殺の直接の起因だったとする説や、バルドー自身が本作の共演者であるサミー・フレイとの恋の縺れから自殺未遂を起こしたこと。『真実』という作品がバルドーが生きた”愛の地獄”に近すぎたこと。クルーゾーがヴェラの自殺という不幸を経て次に撮り始めたのが、あの『地獄』だったということ。人生と創作をめぐる走り出してしまった狂気の収拾のつかなさに唖然とする。



『真実』の前半は「素直な悪女」たるバルドーの聖性を帯びた無邪気な身振りが男達の秩序を破壊する。というより男達は強烈な自己嫌悪と共に自滅へ向かう。むしろバルドーはアプローチをかけてくる妹の恋人(サミー・フレイ)に慎重にガードを崩さない。バルドーはサミー・フレイの指揮するオーケストラの音楽に涙しながら次の機会には飽きて寝てしまう。彼女の心が本気で高鳴るのは部屋にラテン・ラウンジの音楽が響いたとき。ラテンのリズム、ダンスの始原に触れるバルドーは体が黙っていられないとばかりに踊りだす。つま先から筋肉の緊張を伝えるその動きの一つ一つはソウルフルですらある。ベッドの中、全裸で白いシーツにくるまれたバルドーの細かい腰の動きが放つキュートなエロさ。無邪気な少女であり”素直な悪女”たる=女王バルドー。


完全な女はいつも男にたいして、多少なりと明瞭なしかたでノスタルジーを与えるからである。女王バルドーは、まさしく道徳が終り、そこから愛の無道徳性のジャングルが始まるような場所に位置する。キリスト教の退屈さが追放されている世界。
マルグリット・デュラス「女王バルドー」)


『真実』は裁判所(現在)からの回想形式で進行する。裁きを待つ原始の女王(=バルドー)の図。長い長い裁きの果てに女王が決断する終わりが、映画的な快楽とは無縁の神経症患者の克明なドキュメンタリーを覗き見るような生々しい鈍さで結ばれている=遅延されている。ここに魔女裁判、愛の地獄、の苛烈さが匂い立つように刻まれる。収拾のつかない狂気=地獄はフレームに刻まれ、それが作家と女優の固い意志であるかのように永遠に此処に留まる。