『何も変えてはならない』(ペドロ・コスタ/2009)


日仏学院ジャンヌ・バリバール特集上映」にてペドロ・コスタ最新作。モノクロの強烈なコントラストが臨界点まで振り切れたかのような本作の美しさに、ただひたすらに圧倒された。スバラシイ。ゴダールの声(「何も変えてはならない。すべてを変えるために」)のサンプリング使いから始まる楽曲で、唄に入るジャンヌ・バリバールの顔がアップになる、とびきりスペシャルなショットから食い入るようにスクリーンに向き合った。ジャンヌ・バリバールの美しい顔が持つ現代性と古典性が拮抗し合ったバランスで抽出され調和と衝突を起こす。フィルムノワールの亡霊、キャットピープルの亡霊、としてのノイズをコードと仮定、その上に乗るジャンヌ・バリバールの現在をモード(ジャンヌ・バリバール曰く、例外的な一箇所を除いて立ち位置の指定すらなかった)とするならば、『何も変えてはならない』は云わばモーダルコーダルな傑作だ。上映後のトークジャンヌ・バリバールが話していた「映画を夢想しながら音楽を聴いていた」「音楽を夢想しながら映画を見ていた」ペドロ・コスタが紡ぐ、映像による「オリジナル・サウンド・トラック」。音楽の趣味の問題如何ではなく、音自体の振動が体に響く。



大谷能生氏の指摘する一本の映画における音の種類。マイク、生音、外部から映像に接続する文字通りのサウンドトラック、の使い分け(『アフロディズニー』ぽい問題)に意識/無意識だからこその音の位相という質問が面白かった。もちろん「ペドロに聞いてくれよ」な質問なのだけど、これは近い未来、コスタへの質問としてすごく興味深いものになると思った。ピアノを弾く演奏者の斜め背中姿とフレームアウトぎりぎりに立つジャンヌ・バリバールの唄。このシーンの反復ではジャンヌ・バリバールの姿自体が消え、演奏者を捉えたフレームの外から唄声だけが聞こえるという面白さ。とはいえ大谷氏の言葉で対話として一番重要だと思えたのは出演者2人への挨拶代わりの感想、「ジャンヌさんのバンドは盗賊団みたいですね」という指摘だった。『何も変えてはいけない』はジャンヌ・バリバールをボスとするフィルムノワール。”ギャング(楽)団”の移動のシーンが悉く省略されていることは興味深い。


ジャンヌ・バリバールが「もしもわたしが女優だったら・・」(「ローズ」)と唄うラストシーンの即興演奏に心を打たれている。過激なコントラストのなかで結局のところ女優/歌手ジャンヌ・バリバールが裸にされる/されないのフィルム上における相克ぶりがスバラシイ。個人的には『コロッサル・ユース』より好きだ。大傑作!超必見!


追記*間近で見たジャンヌ・バリバール、すご〜く知的で超・超カッコいい女性!


追記2*『何も変えてはならない』から勝手に想起したのはポーティスヘッドの『Third』が持つ音像。


追記3*ロドルフ・ビュルジェ(ギタリスト)がリズムを指揮しながらジャンヌ・バリバールの唄を導くシーンがあるのだけど、ジャンヌ・バリバールのリズムはちょっとズレ始めて、次第に自身の体内リズムで唄いだす、というところが面白い。


追記4*ペドロ・コスタを語るとき偉大な先人の固有名詞を並べ、そういう言葉を先行させちゃうのはそれが正しかろうと、たとえ作家本人が語っていようと、正直言って窮屈。映画は間違ってもシネフィルだけのものじゃない!


以下、『何も変えてはならない』公式サイト。
http://cinematrix.jp/nechangerien/
以下、日仏学院ジャンヌ・バリバール特集上映」
http://www.institut.jp/ja/evenements/9933