『アネット』評②

Annette

CINEMOREさんへの『アネット』評、「変奏のアネット」の番外編。今回はレオス・カラックスの言葉を以下に。カラックスのインタビューといえば、『レオス・カラックス 映画を彷徨うひと』の80P以上に渡るインタビューは本当に素晴らしいので必読です。佐藤久理子さんによる事前のリサーチと言葉の引き出し方が異次元です。カラックスがここまで語ったインタビューは読んだことがありません。以下は、なるべくそこで語られた以外の言葉を選んでみました。

 

cinemore.jp

 

ブライアン・デ・パルマの『ファントム・オブ・パラダイス』を見たのは、スパークスを知ったのと同じ頃だったと記憶しています。その後、アメリカ、ロシア、インドのミュージカルを観ました。もちろん、ジャック・ドゥミの映画も。ミュージカルは映画に別の次元を与えてくれます。ほとんど文字通り、時間、空間、そして音楽があるのです。そして、驚くべき自由を与えてくれるのです。音楽のリードに従ってシーンを演出することもできるし、音楽に逆らって演出することもできる。歌ったり踊ったりすることのない通常の映画とは違い、不可能な方法で、あらゆる種類の矛盾した感情を混ぜることができます。グロテスクでありながら、同時に深遠であることができます。そして、沈黙は新しいものになります。話し言葉や世界の音と対照的な、単なる沈黙ではない、より深い沈黙になるのです」

 

「どんなに素晴らしい曲でも、これだけ楽曲がたくさんあると、映画が不愉快なデコレーションケーキになる恐れがあります。あるいは、大音量で長時間流れるジュークボックスのように。そうなると、せっかくの体験も台無しになってしまいます。シークエンスを編集するとき、映画の全体像に気を配るのと同じように、トータルスコアにも気を配らなければなりませんでした。映画の自然な息づかいを見つけることが重要なのです」

 

「映画の冒頭で娘と一緒にいることが重要でした。もう何年も映画を作っていなかったので、”私たちは小さな実験的なホーム・ムービーを作っているに過ぎないのだ”と、自分自身を安心させるためだったのでしょう」

 

「悪夢のような出来事(ジャン=イヴ・エスコフィエの死のこと)でしたが、キャロリーヌ・シャンプティエのおかげで自分を救うことができました。彼女はとても寛大で誠実な人です。映画の主な協力者には多くの時間を要求します。キャロリーヌとは『アネット』を撮影する三年前から一緒に仕事をしていたのです。そんなことを受け入れてくれる撮影監督はあまりいないでしょう」

 

「ギョーム・ドパルデューとアダム・ドライバーは、女性的な面と男性的な面を併せ持つ、力強く、猫のような、そしてハンサムな青年という点で共通しています。演じるキャラクターも似ていると思います。救いたいと思いながら、壊してしまう」

 

「インドの映画監督グル・ダットは、ミュージカルの「コード」で見事に遊んでいました。彼はオーソン・ウェルズのような存在で、脚本、監督、演技、音楽と、自分の映画ですべてをこなしました。そして、ウェルズと同じく自己破壊的でした。彼は1950年代に私の好きなミュージカルを二本作っている。『紙の花』と『渇き』のことです」

 

Annette

「あるシーンでアダム・ドライバーは迷ったり、怒ったりしました。正確さを求めすぎたり、深い混沌の中に彼自身を置き去りにしてしまっていたのです。もちろん、そのようなシーンでこそ、彼は最も独創的でインスピレーションに満ちた仕事をすることができるのですが。そういう意味では、私たちはちょっと似ているかもしれません。私はアダムを撮影するのが好きでした」

 

「この映画を想像したときにはまだ「#MeToo運動」は起きていませんでした。でも、それが出てきたんです。どんどん女性が名乗り出てきていました。(中略)願わくば、白人ではない映画作家がもっともっと増えて、映画が許すもの、許さないものが、新たな形で私たちを不安にさせることになればと思います」

 

「彼女(アネット役のデヴィン・マクダウェル)は最も幼く、注意力がなく、予測不可能な子だった。でも、彼女こそ私が撮りたかった子だったのです。刑務所のシーンは一番最後に撮りました。(中略)私は思った。”この少女の手に我々の映画の運命が握られているのだ”と」

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「プロデューサーにはギャングか、少し、あるいは十分にクレイジーな人が必要なのです。ギャングならたくさんいますが、いいギャングにはなかなか巡り会えませんから時間がかかるのです」

 

「私はよく”私はカオスを、スタッフは正確さをもたらす”と言いますが、私はカオスを理解し正確さを持つ良い人材を見つけなければなりません」

 

「願わくば誰もが映画の中で作家であってほしい。(中略)俳優とは、時には映画の作家であり監督でもあるのです。作家とは、自分が脚本や監督をしたという意味ではなく、同じ脚本でも自分なしでは映画が成立しなかったという意味です」

 

「『アネット』で音楽を使ったように、ドニ・ラヴァンに動いてもらったのです。ドニの視点から世界を見てみると、このバーチャルな世界が私たちを少しずつ蝕んでいるのが分かります。そしてリムジン、ほとんど古風な車ですが、まるでバーチャル・バブルの中にいるようです。彼は旅をして、人生から人生へ、異なる人生、バーチャルな人生を旅することになるのです」

 

「映画とは動きであり、アダム・ドライバーにはそれがある。彼はエイリアンのように自分の体を変えることを厭わない」

 

「ある瞬間には自信に満ちて芸術について語り、次の瞬間には愛と弱さに満ち溢れる、そんなロミー・シュナイダーの振る舞いを研究してほしいとレオスには言われました」(マリオン・コティヤール

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FacebookTwitterでは何が良いとか悪いとか、そういう還元的な議論を導こうとする人たちがいます。しかし、映画とは自分の疑問や愚かさをスクリーンに映し出すことです」

 

「パリでインスタレーションやビデオなどの大きな展示をしなければならないので、それは大変な作業になりそうです。アダムは仕事中毒なので、早く次の映画を撮りたがっています。彼はワーカホリックだから。もしかしたら、無名の人たちと小さな映画を撮りたいのかも?まだ何も考えていません」

 

 

などなど。ところで『アネット』の公開日にデヴィン・マクダウェルちゃんに「凄まじいパフォーマンスだった!」とTwitterで伝えたらお返事をいただけました(脱字が恥ずかしいのですが以下に)。アネットが猿のぬいぐるみを投げる瞬間、そしてヘンリーと二人でハモり、不意にこちら側に顔を向ける瞬間!カラックスの言うとおり、『アネット』の命運を握るとんでもない瞬間だと思います。何度見ても震えてしまう。彼女はすごい。

レオス・カラックス展ではキャロリーヌ・シャンプティエがIphoneで撮ったメイキングとか見れたら楽しいですね。うらやましい!ベイビー・アネットのドキュメンタリーが昨年フランスで放映されたらしいので、こちらは日本版ブルーレイの特典映像に宜しくお願いします!!!

Baby Annette Documentary