『Mur Murs』(アニエス・ヴァルダ/1981)


ジュリエット・ベルト特集その7。ジュリエット・ベルトは『NEIGE(雪)』を発表した年にアメリカ、ロサンゼルスに渡り、アニエス・ヴァルダのドキュメンタリーに出演している。『Mur Murs』は同時期にアメリカで撮られた『ドキュメントする人』がそうであったように、アニエス・ヴァルダが撮影対象との距離を探ることに成功したとてもユニークな作品だ。たとえば『ダゲール街の人々』のように、撮影対象との衝突があるときのヴァルダの作品はすごく冴えていると思う。思えばヴァルダも処女作『ポワント・クールト』(1954)からひとつの「街」を舞台にフィルモグラフィーを重ねてきた作家ともいえる。以後自身の監督作で「街」を多人種による「実験の国」として描くジュリエット・ベルトが本作に出演したのは、ヌーヴェルヴァーグの連帯以前に、十分に納得のいく経緯といえるだろう。



アニエス・ヴァルダが自身や自身の好きなコレクションを語るのではなく、撮影対象との距離を模索しながら撮った作品は、ヴァルダ持ち前の抜群のユーモアが外部と衝突するからこそ面白い。たとえば『ドキュメントする人』や『ダゲール街の人々』のようなドキュメンタリー作品に感じる、そこはかとない慈しみは、自身と対象との距離(他者という壁)の中でしか生まれ得なかったように思う。「壁、壁」と題された『Mur Murs』にはそれがある。この街の壁という壁はグラフィティ・アートで埋め尽くされている。壁に描かれた題材はアメリカに運ばれてきた黒人のブルースであり、たとえば50年代ウェストコースト・ジャズのジャケットに見られるようなラグジュアリーでプラスチックな「良心的」アメリカの風景、「理想の」アメリカの人物像であり、リンカーンケネディの肖像であり、何よりピュアで美しいのはこの街の住人が描かれた絵だ。ここにはアメリカの歴史があり、この街の住人は「歴史」に囲まれながら生活している。このプラスチックな歴史の重み/軽みの中でガレージパンクは演奏され(カッコいい!)、ジュリエット・ベルトはピエロの集団と共に破壊する。しかし「宇宙」の絵に代表されるように、この街の壁は現実の映し絵であるのと同じくらいの熱量でロマンティックな楽観性を備えている。壁に描かれた結婚式の絵の中で結婚式をあげた複数のカップルが窓から手を振るショットの美しさ。壁の全景ショットは絵の中の人物と実際の人物の区別をつけさせない。車から壁画をとらえた長い長い移動撮影によって、ヴァルダのユーモアは物語性を帯びる。飛び出すお爺ちゃん。そして飛び出す太極拳。ヴァルダによるこの「とびだす絵本」は重みと軽み、地上と宇宙を縦にも横にも自在に行き交うことで、世界への慈しみを帯びる。珠玉の作品だ。


追記*2009年に日仏学院で行われた「アニエス・ヴァルダ・レトロスペクティブ」の際、『ダゲール街の人々』、『ドキュメントする人』ほかについて書いた備忘録。
http://d.hatena.ne.jp/maplecat-eve/20090906