『アンストッパブル』(トニー・スコット/2010)


トニー・スコットトニー・スコットを模倣するだけならあんまり興味を惹かれないんだけど・・・、と思っていた『アンストッパブル』(なんちゅータイトルだ)は、こちらの安易な予測を良い意味で大きく裏切る映画だった。ごめんなさい。個人的に前作『サブウェイ123 激突』はアベフトシ並の高速(クロス)カッティングがほとんど前衛的なまでに昇華された傑作、まさに「カッティングの鬼」だぜ!、と完全に打ちのめされたのだけど、トニー・スコットはそこからまた一歩新たなフェーズに踏み出したようである。もちろんトニスコの作家としての烙印はフィルムのいたるところに刻まれている。しかし、ここではもはや「トニスコ印」の代表格である遠隔操作ですら何の役にも立たないことが証明されるのだ。今回デンゼル・ワシントンは最初っから管制塔にはいない。現場のことなら何でも知っているベテラン。数ヵ月後の解雇通告を受けた(ここが素晴らしい!)労働者だ。『サブウェイ123 激突』でデンゼル・ワシントンを現場に呼び出すことに成功したジョン・トラボルタに敬意を払うかのように、『アンストッパブル』では終始一貫した「現場主義」が貫かれている。この映画には4つくらいの労働者における階層があって、上に立つ人間になればなるほど何の役にも立たない、といういかにもトニー・スコットらしい皮肉は最大限に披露されている。



アンストッパブル』においてゴルフ場にいる偉い人や、オフィスで醜態をさらす上司は言うに及ばず、管制塔の人間でさえ一体何ができただろうか?現場の二人へ向けた指示はどれほど役に立っただろうか?事態への数学的なアプローチをアドバイスする男でさえ、最終的には「可能性」を計算できなかった。ちょうど暴走事故が進展する度にマメに挿入されるニュース映像を指して、「TVに教えられるのか!」と自虐ぎみの台詞が放たれるシーンがある。管制塔の人間でさえ全米にリアルタイムで放映される「劇場型」ニュース映像の前で固唾を呑みながら事態を見つめる観客と何ら変わらない。むしろ情報速度の点において彼らは負けている。『アンストッパブル』では、徹底した「現場主義」を描くと同時に、情報速度の問題が浮き彫りにされる。二つの家庭に置かれた大画面液晶テレビが象徴的だが、この作品で実のところ最も速い情報伝達は冒頭から繰り返し描かれるサイドミラーの確認だろう。ニュース映像はまるでゲームであるかのように全米に放映されるが、実際に起こっていることの内実は伝わらない。デンゼル・ワシントンの娘が、父親がジャンプして飛び移れるはずのない障害に遭遇したとき、TVの前で「飛べ!(DO IT!)」と力を込めて叫ぶシーンに思わず笑ってしまったのだけど、このとき彼女は現実との距離感覚を完全に無くしてしまっていたのだろう。


暴走列車が生き物のように撮られていないことも興味深い。暴走列車はたしかに時折低い声で唸るものの、あくまで鉄の塊として描かれている。石油を積んだ最高速度で走る列車を指して「ミサイルみたいなものよ」と形容した管制塔の女性の放つ言葉のとおり、暴走列車は武器弾薬を積んだ鉄の塊にすぎない。この擬人化されていないが故に非情な恐ろしさを堪えた鉄の塊から、穀物が漏れてシャワー状態のアクションが展開されるのだから完全に人を喰っている。なんて素晴らしいシーンなのだろう。ラスト数十分の圧巻のアクション。思わず「飛べ!」と叫んでしまったデンゼル・ワシントンの娘は、私たちの胸の高鳴りの代弁者だ。


アンストッパブル』は結局現場をよく知った人間の決断だけにすべてが任される。言い換えればこれは労働者の勝利の映画だ。デンゼル・ワシントンが天に向けて諸手を挙げてガッツポーズしていた、あの爽快な姿を記憶から消すことはできないだろう。ところでところで、全てのことの発端となった、やっちまった男のその後が「ファースト・フード産業に進出」ってさー。たしかにあの顔はハンバーガー大好きな顔だよねッ。爽快!