WEB上の映画

もはやどんな稀少な映画がYoutubeその他にアップされていようと驚かなくなってしまったこの頃ですが、個人的には『公共問題』(ロベール・ブレッソン)をYoutubeで見てしまったことの後悔から、WEB上で映画を見ることをかなり前にやめてしまった。短編なら「まぁいっか」と思って見たものの(まずYoutubeで長編を見るような集中力が私にはない)、これは単なる価値観の問題なのか、見なきゃよかったとさえ思ったのは、『公共問題』の凄まじいまでの楽天性を、目の前で展開されている映像の凄さにも関わらず、相当な想像で埋めなきゃならない、という妙な作用が生じたことも一つ(勿論それはDVD体験にだって当て嵌まるわけだけどね)。また個人的にプロセス(映画を見るための移動の道中や代金、もっといえば映画を見たいがために仕事をしたり、あるいは節約を考えたりといった行為、DVDだって注文して海外から届くまでのドキドキ感は棄てがたし)を経ない映画体験に違和感を覚えてしまうこともある。


一方で多くの映画体験とは残念なことに相変わらず都内への一極集中型なので、地方に住んでいる方が都内の上映に駆けつけられず、ソフト化されていないような作品をYoutubeで見たり、又は、こんなご時世なので仕事のない方の映画体験の救いにもなっていたりするのかもしれない(貧乏くさいことや「忙しい」とか信条として言わない主義なのですが、こんな呑気な私とて収入は減っています。今、音楽業界は底の底の底にある)。映画を見るという行為は少なからず人を楽天的な高揚感に導いてくれる貴重な体験だ。だからWEB上の映画で楽しんでいる方たちを批判する気は毛頭ない。それを私が選択しないだけであって、楽しみ方なんて何通りあろうとよい。


ただ見ることの叶わない映画を夢想すること、その甘美な歓びを忘れたくない、という気持ちもある。YMOの1stの曲名が当時見ることの叶わなかった映画のタイトルを並べていることは有名だけど、其処に込めた思いは、こんな手軽にWEB上でアクセスできてしまう時代だからこそ、逆に痛いくらいに理解できる。壊れるべき自分の価値観など壊れてしまえばいいと普段は思っている私にも、恐らく何か譲りたくないものがあるのだ。知識よりも大切な何かを。映画好きはどうやって付き合っているのだろう?


追記*音楽はもっと深刻な事態だけどね。

追記2*もっとも「何も買わない」ことが何ら抵抗でさえないように思えるこのご時世へのささやかな抵抗の気持ちもある。いかに安く、タダで済ませられるかというゼロ年代的(?)な価値観にも抵抗したい。お金は使わないと回らない。それがお金を使うべき物、人だと判断するなら、このシステムの中、私は喜んでその人にお金が届くようにしたい。僅かな金額にすぎないけど。