『YESMAN/NOMAN/MORE YESMAN』(松村浩行/2002)

こちらはビックリするような作品だった。「反復とズレ」という手法そのものに批評のメスが入っているというか。「イエス」と「ノー」で山越えの同じ劇が繰り返される第2幕までは『世紀の光』のアピチャポンみたいな「ズレ」の構成になるのかな?と勘繰っていたら、第3劇は少年が能動的に行動するというか、少年の山越えへの目的自体がスリ替わっている。了解なきイエス。掟/型からの飛躍というテーマは『よろこび』と確かに繋がっている。外国人の片言の日本語には言葉の意味と接続を剥奪・置換させるような危うさがある。簡単に傑作とは言わせないオリジナリティ。


もう1本上映された短編『つかのまの秘密さ海の城で〜水無月蜜柑試篇』は、あがた森魚の北海道ツアーのドキュメントなのですが、これも面白かったですね。肝心なライブの歌声が無音でテロップで詞が流れるという。空白にされた歌の周りを旋回するようなオフステージの音楽の充実、等、『TOCHKA』の舞台まで飛び出す土着性と、言葉の置換、剥奪された音楽と映像が織り成すシンフォニーといった趣き。


船橋淳監督がNYで撮った短編『Talkie & Silence』は、船橋監督の学生時代からの意識の高さを感じさせる作品。前景・後景化するサウンド=ノイズ(トーキー&サイレンス)とフレームについての考察といった「映画」自体に肉薄した作品。なにより街を彷徨う女性と出会う老人の顔が素晴らしい。


処女長編『echoes エコーズ』は蓮實重彦氏が『映画崩壊前夜』で触れていたこともあって前から興味のあった作品。車に掴まって並走する自転車の女性は面白かった。と言いつつ、個人的にどこか保留したい作品。理由はまだ分からず。