『Sedmoy Sputnik』(アレクセイ・ゲルマン、グリゴーリ・アロノフ/1968)


アレクセイ・ゲルマンの処女長編。輸入DVDで。本当の処女作である単独監督作品『道中の点検』が、いきなり吹き荒れる雨のショットで度肝を抜くことを考えると、こちらは共作ということもあってか、その後の自由奔放なトンデモ感は控えめ。堅実に撮られているという印象が残る。とはいえ、いや、だからこそ、ゲルマンの一貫した姿勢が如実に顕された作品ということも出来るわけで。当たり前のように抵抗の厳しさに貫かれた作品だった。たまたま属した身分によって生かされてしまうということへの抵抗、と言えばよいだろうか。たとえば敵に身柄を引き渡すため、紙切れに書かれた仲間の一人一人の名前を呼ぶシーンの残酷な演出。罪悪感で意識を失ってしまうシーンの主観カメラによる転倒(!)。傑作『道中の点検』に繋がる、雪原の西部劇のようなアクション。すべてが壊れてしまった世界、または転倒してしまった世界で「以前と同じようには生きられない」と語る主人公が、大切な時計を持って歩き回る姿が強烈な印象を残す。アレクセイ・ゲルマンフィルモグラフィーとは、この処女作で描ききった端正な演出による抵抗を、あらゆるバリエーションの発明によって崩していく軌跡なのかもしれない。