『愛と欲望の毛皮』(ダリオ・アルジェント/2006)

サスペリア・テルザ』は個人的には問題作というか、はて、これは一体どう感じたらいいの?、というくらい、何も感じることが出来なくて、困惑した作品だった。ほとんど時代錯誤のようにしか感じないスクリーン上の諸々のズレは意図的なものなのか何なのか?魔女、怪物との闘争/逃走の果ての果てにアーシア・アルジェントの爆笑が待っているという図は、ジョー・ダンテの作品のように、映画における怪物との闘争を「戦争」のメタファーと仮定するならば、暴動、恐怖と逃走が、転じて、「本気で逃げるって何処か笑っちゃうよね?」という、かつてスライ・ストーンがキュート極まる表層で綴った「ランニング・アウェイ」(超定盤・超名盤『暴動』に収録)という楽曲を想起させる、とかいう解釈も可能でしょうか?


それはともかく。『愛と欲望の毛皮』はスゴイです。TV作品なのだけどこんなの放送できるわけがない。アライグマを踏み殺すシーンから既にヤバさで溢れているのに、ラストでは更にトンデモナイことが!「女性と毛皮」という組み合わせは、谷崎潤一郎青い花』のテーゼのごとく、女性にとって衣服の選択は自らの皮膚の選択と等しい、というほとんど文学的ともいえる「肌」の官能性に満ちている。皮膚を縫うシーンがあるからかもしれないけど、この作品何処か谷崎っぽい。あとストリッパーの黒人の女優さんの動きが尋常じゃなくエロいのですが、彼女のしなやかな運動も作品の大きな魅力になっている。彼女に毛皮のコートを着せたい”豚男”の性的妄想が爆発する。さて、女性と毛皮、皮膚の匂い立つ官能、というキーワードで大体どんなことが起こるか想像はできますが、それが本当に起こるし、こちらの想像を絶した血の描写で迫るんだから、これには驚愕!真夏の夜のホラー。『グッバイ・ベイビー』と『愛と欲望の毛皮』、未見の方は是非見たほうがよいですよ。