『風にそよぐ草』(アラン・レネ/2009)


フランス映画祭2010関連特集「アラン全作上映」の内、09年のカイエ・デュ・シネマ年間ベストやフィルムコメント紙の選ぶ未公開外国映画部門で1位に輝いた最新作。上映後のアルノー・デプレシャントークによると、ティエリー・ジュスは、この作品が批評家から「若い映画」だとよく讃えられることに対して、「老人の映画」だと評したそうだ。なるほど、この人を喰ったようなオフザケぶりは才気走った若者の仕事ではない。あのファンファーレが響くことも含めて、頻繁に現れる電話のシーンのアイディアや、クライマックスの素晴らしいセスナのシーンに顕著なように、その画面設計は確実に古典を踏んできた老作家の遊戯=実験だろう。『抱擁のかけら』におけるアルモドバルの達成とは違った形の巨匠の達成がここにはある。この達成が映画ならではのアッケラカンとした「ウソ」によって成立しているところが猛烈に面白い。性質は悪いけど上品なウソ。


上映後のマチュー・アマルリックによるとレネは「形式主義なことを(俳優に対して)申し訳なく思っている」そうだ。この形式主義フェティシズムは等しいように思える。赤いハイヒールの女=サビーヌ・アゼマが歩く開巻早々から女の纏う物質へのフェティシュなコダワリが炸裂している。アルモドバルの新作にも通底しているテーマがここにも見られる。と同時に、エリック・ゴーティエによるカメラワークの凝りに凝った形式が生み出す艶と形式からハミ出る遊びが素晴らしい。正直この作品の内容ついては「必見」とだけ書いておきたい。


そうそう、『クリスマス・ストーリー』上映後のティーチインでアルノー・デプレシャン(すんごい熱弁家。いい人!マチューもアンヌもね。)はこんなことを言っていたよ。


「(自分の映画には)映画(の枠)から出たがっている登場人物が必ず一人入っている。というのも、それこそが私にとっての官能なんだ。」


完全無欠の形式主義者が形式によって形式から不意にハミ出る「選ばれた官能」とでも言うべきものが『風にそよぐ草』の全編に宿っている。官能はなにも性的なことだけに宿るわけではない。これはオドロキの達成だ。素晴らしい。一般公開熱望!


追記*ツイッターにも書いたけど、ここにも転載。「アラン・レネ全作上映」の参考になれば。今回のアラン・レネ特集、デプレシャンのフェイバリットは『死に至る愛』だそうです。アマルリックは『去年マリエンバードで』と『プロビデンス』、『アメリカの伯父さん』。アンナ・コンシニは『夜と霧』と『スチレンの唄』を挙げていました。