『ウルトラミラクルラブストーリー』(横浜聡子/2009)


さて昨日の続きで『ウルトラミラクルラブストーリー』。松山ケンイチがほとんど何を言ってるのか聴き取れない津軽弁で幼児的アクションをアナーキーなまでに炸裂させている様がまず全くもって素晴らしい。拡声器を片手に青森の田園風景を軽トラで走る様は相当に危険だ。些細な諍いの末、無農薬野菜を主婦と投げ合う様は「ごっつええ感じ」のキャシー塚本を想起させさえする。危険分子=松山ケンイチ麻生久美子=保母さんの仕事終わりを待ち伏せ=お迎えに来るわけで、ここにどうにも可笑しな倒錯関係が生まれる。序盤、保育園の窓に貼りつく松ケンが園児たちに「帰れ!」とか罵られるシーンがこれみよがしではなく空間の把握、演技の持続による極めて道理の通った長回しで撮られている。



この作品では長回しがそれと気づかないくらい堂々と自然に行なわれる。夜の倉庫で松ケンが積み重ねられた米袋の上をピョンピョン跳ね歩くショットがひとつの達成。俳優のアドリブ演技を広角カメラ据え置き状態の長回しで撮るという試みは近年の日本映画で何度か見かけたものの、これほど上手くやれた例は稀少だろう。しかし何といっても、もうひとつ最も美しい達成は、夜の帰り道を松ケンと麻生久美子が長い長い散歩をするシーン。散歩の道中、遠くの公園でロケット花火が派手に打ち上げられ、会話の途中で「花火やってるね」と麻生久美子が何気なく呟くシーン、鳥肌が立った。花火はその一言以外台詞で触れられることなく、しかし遠くの景色では盛大に燃え上がっている、その間カメラはずーーッと横移動の長回しなのだけど、演技の持続が見事にそれを意識させない。長い長い夜の散歩道。大好きな人との終わることのない夜の散歩は、時間の感覚を麻痺させるのです。ここで名言。


「脳ミソなくても、心臓が止まってても、散歩はできる」


織田信長と同じ脳回路を持つ松ケンは戦闘機の音を幻聴する。松ケンが農薬を全身に浴びるのは劇中で語られているとおり、麻生久美子に好かれるため、だけではないように思える。首なしの恋人を待つ麻生久美子がラストにとる行動こそ、そしてその時の麻生久美子の衣装にこそ、パズルのように伏線が絡み合うこの作品の、パズルのピースを無化させよう痛快な回答が用意されている。傑作!散歩したくなるはず!