『コッポラの胡蝶の夢』(フランシス・フォード・コッポラ/2007)


言葉の起源へ/時間の起源へ、何処までも退行していく時間/フィルムに身を任せる。この感覚に一番近いのはやはり『地獄の黙示録』だろうか。しかし噂には聞いていたけど、まさかこんなにもやりたい放題な作品になってるとは。若々しいと形容するには味がありすぎるし。「コッポラの映画」としかいいようのない作品。驚嘆の一言です。最初はイタリアの血が入ったラウル・ルイスみたいな画面かなと思っていたのだけど、東欧ルーマニアを舞台としつつ無国籍に夢魔的な時間を退行していくその様(冒頭で凝りに凝った音響=音の洪水と共に時計が逆回転する)は、まさに新世紀コッポラの誕生と呼ぶに相応しい画面の連続で、あまりにも美しいアレクサンドラ・マリア・ララ(もうこの名前からして何ともいえない素晴らしさですよね)に釘付けにされたまま(彼女がいたこ状態になり奇声を上げる”青い夜”の場面が実に美しい)、大きな波に呑まれる岩場のショットで撃沈でした。「ゴダールになり損ねた男の逆襲」ですか。すごいぞ、コッポラ!


個人的に興味深いなと思うのは、レオス・カラックスフランシス・フォード・コッポラという今年約10年振りの作品を撮った御両人が、共にゴダールに対する挑戦状のような作品を仕上げたこと。もう一点、『イースタン・プロミス』もそうなんだけど、ショットの不在、というかショットを独立させない画面作り(編集も含めた)という点(『ヒストリー・オブ・バイオレンス』はどちらかというとショットの映画でしょう)。映画に対する見方とか考え方みたいなものは時代と共に(又は個人の積み重ねと共に)常に変わっていくべきものだと思うけど、今は結構大きな転換期にあるのかな、と思える。



一度見たくらいじゃ足りない作品なので、もう一度見ます。