『ずっとあなたを愛してる』(フィリップ・クローデル/2008)


フィリップ・クローデルの前に、17、18日に行なわれるギー・ドゥボール特集のチケットを購入したのだけど整理番号が一桁台で、あれまー!、とやや肩透かしを喰らう。『スペクタクルの社会』が日本語字幕付きで上映される(残念ながら本命の18日は行けないのですが)のはかなり画期的な事件だと思うのだけど、やっぱみんなヤマガタでまとめて見るんだろうか?それとも宣伝がイマイチいき渡ってないとか?当日券目当てかな?『スペクタクルの社会』は青山真治氏が毎週公開すべきだとか日記に書いていた記憶もあり。ギー・ドゥボール特集、もっと盛り上げましょうぞ。以下にリンクを貼っておきます。
http://www.institut.jp/ja/evenements/9216


『ずっとあなたを愛してる』は小説家フィリップ・クローデルの処女長編。先行上映。年末にテアトル銀座で公開されるようです。そんなわけでネタバレに注意しながら書きます。さてこの作品を見ながら思い浮かべていたのはジョナサン・デミによるあの美しい『レイチェルの結婚』のことで、姉の帰還/不在が家族間に齟齬をもたらす、という展開にデミとの共振を感じるのだけど、こちらの脚本は曲者というかもう少し事情が入り組んでいて、姉を引き取る妹夫婦の娘らに血の繋がりがないのだよね(妹夫婦は不妊症)。「家族」という形は予め失われている。この緻密な脚本をクローデルは殆ど正攻法ともいえる撮り方で織り上げる。唯一例外的なカメラの動きは家の中をグルグル廻る長回しかもしれない、が、実のところ、これとてなんら作劇上の例外とはならず、どこまでも役者の力を信じきったブレのない演出には気骨性すら感じる。



姉妹を取り巻く人物の配置の仕方と距離が実に丁寧で、姉に好意を寄せる大学教授や読書ばかりしている痴呆の老人、対照的に、ずけずけと姉の「過去」に入ってくる汚れた手をした無実の人々、何より痴呆の母との、大きな愛と罪のない憎悪が瞬時に入れ替わる抱擁シーンが泣ける。姉妹で連弾するピアノシーン、曲に合わせて娘がクルクルと踊りだすシーンの美しさ。これら顔と顔の決定的な接近による歓喜と愛憎のスパークがポエジーを生む。上映後のクローデルの講演の言葉を借りれば「不在」のポエジーとでも言うべきか。現在/かつて、其処に在る/在ったはずの、「不在」を感じさせるポエジー


愛しているなら、急げ、手遅れになる前に。


話が脱線しますが「エリック・ロメールは素晴らしいか否か?」という食事会での議論は、実際にフランスの知識人がしていそうな議論で妙に生々しかった。


とても秀逸な力作なのですが、フランスの文学者が撮った映画といえば真っ先にマルグリット・デュラスアラン・ロブ=グリエが浮かぶわけで、映画の「本流」からすれば常に”アウトサイダー”だった彼らの作品にある、外部からの脱構築、はクローデルの処女作にはない(もっともクローデルは上映後の講演でデュラスの文学を最上位に挙げる一方で、デュラスの映画については文学作品ほどには関心がない様子だった)。その力強い演出の手付きはもっぱら主演2人の女優の素晴らしさと「他者」との衝突の影から零れ落ちるポエジーに賭けられている。手堅い水準のデビュー作。