『証人たち』(アンドレ・テシネ/2007)


横浜日仏学院にてアンドレ・テシネ。英語字幕付き上映。エマニュエル・ベアールがタイプライターを猛烈な勢いでキーパンチするタイトルバックから息咳きったかのような忙しなさが全編を支配する。とにかく展開が早い、早い。早いだけでなく詰められた情報量がハンパないので、こちらの喉はカラカラだ。赤ちゃんの誕生と共に始まる第1章「幸福の日々」における眩いばかりの光、海沿いの断崖、ベアールの髪型と誇張された黄色い衣装に、『悲しみよこんにちは』(オットー・プレミンジャー)におけるジーン・セバーグのような、ゆっくりと崩壊へ向かう、不穏な幸福とでもいうべき「予兆」を感じずにはいられない。ベアールの開放的なダンスが素晴らしい。



どこか90年前後の印象的なフランス映画を思い起させるのは、この作品が『深夜カフェのピエール』(1991)の如くゲイの出会いの場(ブーローニュの森!)を描写している、ということもあるのだけど、たとえばセスナ機で空を飛ぶシーンの突発性にジュリエット・ビノシュのスカイダイビングを思い出したり、エイズという「ウィルス」の蔓延への恐怖という世界観にも同じくこの時代の空気を感じてしまう。景観の抜けがよいことが逆に不穏な予兆を招いているかのような開放的な「幸福の日々」が終わり、第2章「戦争」=ウィルスの季節に入るとまたガラッと空気が変わる。室内での撮影が増え、季節は冬を迎える。あれだけ光が眩しかった別宅の景色は雪に包まれ、夏の海、あれだけ情熱的だったゲイたちの出会い(海中の画面連鎖と演出が素晴らしい)は、やがてウィルスに阻まれることになる。エイズに侵された青年マニュがベアールに「僕のことが恐くないならこっちへ来て」と誘われ、手をかざした暖炉の火の前でキスを交わすシーンは、この映画の最大のハイライトだ。やがて月の光さえ消えようとするとき、青年の姉がオペラを歌いはじめる。闇に包まれた舞台で姉は何かを探すように蝋燭の火を携える。火は生命の灯火に他ならない。


再び眩しい夏が訪れ、再度クルーズを楽しむベアールを初めとする面々(これがまた素晴らしいショットなのだ)。ここに悲喜を反転させた反復の作用が生じる。忘れられないのはセスナ機に乗った姉のあの言葉。「どこまでも飛んでいける気がしたのだ」。


傑作!


追記*テシネ作品のテンションにつられてか、大寺さんが更に早口だった気がする。「エロス」を起点にして細部の演出へと広げる、とても楽しいレクチャーでした。ちなみに「エロス」はベアールの書く小説のテーマとして劇中で語られます。