『ある官僚の死』(トマス・グティエレス・アレア/1966)


キューバ映画祭2009@ユーロスペースにてトマス・グティエレス・アレアを3本。ハードコアな作品なのかな?と思いきや、非常に軽やかなコメディで意表を抜かれました。こちらの作品は何処までも官僚的に馬鹿馬鹿しい「形式」「順序」を重んじる社会を笑いで皮肉ったというか、傑作『低開発の記憶』で言及されるような「個人は組織に責任を擦り付け、組織は個人に責任を擦り付ける」という世の中の仕組みが、革命後の激動のキューバで、大旗振った主張とは相容れない立場から描かれる。革命のための芸術が、革命のための単なるプロパガンダに成り果てることへの懸念が滲み出ているというか。


ブニュエルベルイマンキートン、全ての映画人に捧げる(中にはエリア・カザンの名前まで!)というクレジットの後、その言葉通り、資本主義と社会主義、文化国境を越えた「映画」の画面が展開される。主人公は労働許可証を持ったまま埋葬された偉大なる市民=叔父の墓を掘り起こす。労働許可証がないと年金が発生しない、というお役所的な形式が悲劇と喜劇を呼ぶ。出色は夜の墓場で警備員を棺桶を押しながら追い掛け回すシーンでしょうか。または馬鹿馬鹿しいまでの路上での市民による暴動(パイ?が何故か乱れ飛ぶ)。これは今日見た『12の椅子』にも『低開発の記憶』にも言えることですがラストが妙な明るさに溢れていて心地いい。謎の中国人!