川上未映子『ヘヴン』

ヘヴン

ヘヴン

このところ川上未映子さんの初長編作『ヘヴン』にすっかりやられてしまっている。なんとまあハードコアな作品なのだろうか。早稲田文学に掲載された『戦争花嫁』、ユリイカに掲載された『いざ最低の方へ』と、あの特異な文体を用いての未映子さんによる言葉の闘い/遊戯は沸点を迎えたかのようにみえた(どちらも大好きな作品である)。今回、初長編であの文体を封印しているのには、読み始め当初こそ戸惑ったものの、徐々に未映子さんらしい言葉と言葉の接続による意味/言葉の生成(苛められ少女コジマの「鋏」と「標準」の接続など)や、全てのエピソードや言葉と言葉の間から零れ落ちた詩的なるものが有機的に絡み合ってくる作品の見取り図(これは本当に本当に身を磨り減らすような、まさにハードコアな作業だったと思われる。ふと未映子さんも敬愛する尾崎翠の『第七官界彷徨』における見取り図を思い出し、尾崎翠のように発狂しちゃうんじゃないか大丈夫か?、と心配になったぐらい)が見えてきて、たとえ文体が読みやすくなったところで、嗚呼、やはり未映子さんは同じように言葉と真剣に闘っている、ただ、その闘いのレンジが途方もなく広がりだしている、つまり言葉との戦争を越えたところで、この作品はあらゆるレベルの戦争と酷似している、ということに気付くや、深い戦慄を覚え、激しい動悸に襲われた。実際この作品ではあらゆる「正しさ」が消失してしまう。「世の中には正しいことなんて何一つない」という「正しさ」さえも、この作品は受け付けない。其処にあるのはスケールを問わない「正しさ」と「正しさ」の対立=戦争を慎重に分解するかのような途方に暮れるよりほかない作業(何故暴力を振るうのか問いただされた百瀬の返答の凄まじさといったら!)。故に「正しさ」の消滅の果てに辿り着いたコジマの浴びる神々しい光(但しこの光は救いの光ではない。善悪を超越している)と、一瞬の笑い(本当にふと体が浮くような笑い)と、最後の何度も復唱したくなるような孤高に美しい文章、行き場のないやり場のない美しさに涙がこぼれた。本当にこぼれた。物語を読み終えたところで冒頭のセリーヌの引用へと再度戻らなければならない。百瀬の台詞を借りれば、地獄や天国があるとすれば、此処が地獄だし此処が天国なんだよ。そんなことにはなんの意味もない。


とても大切な本になりそうです。きっとまたすぐ読み直す。未映子さんの闘い方は凄まじいと思う。同時代にリアルタイムでふれられたことに感謝!ラストの文章を何度も何度も朗読してしまったよ。素晴らしいです。ネタバレになるのであまり詳しく書きませんが物語上重要になってくる継母と主人公の関係がよいよね。この母親の台詞と行動の行間が好きだ。あとこれは余談ですが私の頭の中では百瀬少年は岡崎京子さんの描く絵で動いていました。