『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(デヴィッド・フィンチャー/2008)


「物語=人生」のことばかり考えてしまう作品。ひたすら「語り」に徹したショットの積み重ね=167分(!)は部分的には丁寧すぎるぐらいで、しかしこの作品の尺の問題をとやかく言う気にはなれない。年齢退行の物語といえば父コッポラによる、あの素晴らしい『胡蝶の夢』が記憶に新しいところですが、『胡蝶の夢』の横に並べるのに相応しい作品が『アンナと過ごした4日間』(スコリモフスキー)であるような(個人的にそういう実感があります)風な並びとは全く別のところに『ベンジャミン・バトン』の「語り」はある。コッポラと違ってシネアストな歪感がない。すご〜く滑らか。この滑らかさはひょっとして「シネマ」とは別のものかもしれない、と一瞬、頭をよぎるのだけど、これもやはり映画なのだと、すごく泣ける、ケイト・ブランシェットが素晴らしすぎて完全に移入してしまう、「語り」に徹したことで突き刺すものが「人生」なら、それは映画だね。素晴らしいことじゃないですか。


夜、遠くの海に巨大海水生物が浮き出るかの如く出現する潜水艦のショットは、この「平板」に撮られた作品の中でも突出したショットだと驚かされる。冒頭、年老いた赤ちゃんが黒人夫妻に拾われる階段での演出も御見事。黒人夫妻が切り盛りする老人福祉施設に響く静かな寝息・物音は時間が止まったかのような錯覚を覚えさせる。自分は若返るばかりなのに周りの人たちは次々といなくなる。確実に時間は過ぎ去る。


恋の記憶。ケイト・ブランシェットによく似たティルダ・スウィントンがゴージャスな衣装を着て初老のブラット・ピットとエレベーターやホテルのロビーで交わす一連の場面が素晴らしい。彼女の顔が帽子の影で隠れるところなんかゾクゾクする。年齢退行するブラット・ピットが恋人ケイト・ブランシェットとちょうど年齢が合ったくらいの時期に「この瞬間をいつまでも記憶に留めておきたい」と沈黙の内に鏡と向き合うショットは、こう書いてるだけでも泣きそうになる。二人が出会ったという記憶、そもそも彼と彼女の存在自体、初めから無かったことになってしまうのか?そして予告されたハリケーンはやってくる。人生が「無」に還るという過程に一筋の希望を投げかけて映画は幕を閉じる。涙せずにはいられない。