『アナザー・プラネット』(マイク・ケイヒル/2011)


エレン・ペイジが大好きだと公言していた作品で、日本ではつい最近DVDスルーでリリース。こちらはラース・フォン・トリアーの『メランコリア』の惑星が鬱病的な(というか中二病的な・失礼!)光を放っていたのに対し、「アナザー・メランコリア」とでも言うべきか。惑星は逃避の希望として空に輝く。アメリカにおける最下層(主人公は交通事故による犯罪の罪を背負い、社会復帰が困難な状況にある)に所属してしまった少女の、地球と同じ形態・人物構成(もう一人の自分があの惑星にいる)を持った、もうひとつの惑星への憧れが、こういっては大変失礼なのだけど、ダルデンヌ兄弟式に撮られている。とはいえ手法の模倣ではなく、その演出力と独特の説話設計によって、『アナザー・プラネット』はとても興味深い作品に仕上がっている。一人の女の子という中心の周縁に、テレビやラジオから聞こえる壊れかけの「音声」(まさしく惑星にいるもう一人の自分からの音声のようなのだ)が常にあり、それが物語を動かしている、というユニークな設計なのだ。さらに、『アナザー・プラネット』において、もっとも演出の冴え渡ったシーンが、この聞きたくなくても聞こえてしまう「音声」を、少女が語り部として中年男性に語って聞かせるシーンである、ということが、この作品を極めて豊かなものにする。SF的な設定をまったく予算をかけずに、しかも説得力を持たせて撮る、ということにこの作品は知的な設計によって成功している。


追記*『アナザー・プラネット』の主演女優ブリット・マーリングは本作で脚本も手掛けている上に、マイク・ケイヒルの前作では共同監督もしているとか。興味深いね。