『アニキ・ボボ』(マノエル・ド・オリヴェイラ/1942)


アテネ・フランセにて「ポルトガル映画祭2010」のプレ・イベント「ペドロ・コスタ×ポルトガル映画史」。オリヴェイラ『アニキ・ボボ』の上映後にポルトガル映画史を語るペドロ・コスタの講演付き。ペドロ・コスタの語る「主観のポルトガル映画史」の内容に照らし合わせるならば(「ポルトガル映画史は存在しない」というジョアン・ベルナール・ダ・コスタの文の引用)、エイゼンシュタインのようなド迫力の活劇で文字通り縦横無尽に駆け抜けるサイレント映画『ドウロ河』や、その大胆な発展系としてポエジーを際立たせるこの傑作『アニキ・ボボ』は、ポルトガル映画史において最重要作品となるのかもしれない。今回のペドロ・コスタの講演で最も印象に残ったのは、「(私たちは)プロットよりもポエジー=映画が向こうからやってくるのを待つ」という言葉だった。この言葉は、ダ・コスタ、オリヴェイラモンテイロ、レイス、そして当のペドロ・コスタ本人の理念・理想を含蓄しているのだろう。



『アニキ・ボボ』はコドモたちの過酷な身体の酷使と昇華を大きな揺さぶりで描いている。クレーンの上から河へ跳びこむ少年、女の子からのご褒美のキスで屋根から落ちそうになる少年、そして二度も描写される決定的な落下事故。勢いよく直っ逆さまに落ちる少年の体が強い印象を残す。コドモたちの運動は深夜にさえ活発だ。日本でいうドロケイ(別名ケイドロ。鬼ごっこ)は真夜中に行われる。夜になると悪魔が来て悪い子を捕まえるのだという。真夜中に少年は屋根を渡って渡って少女の家に走る。ついに少年と少女が窓枠越しに対面、午前3時の鐘が夜の街に響くシーンが詩的だ。『アニキ・ボボ』において「音」と遭遇するシーンはどれも美しい。コドモたちは丘で「アニキ・ボボ」の歌を唄いだす。みんなでステップを踏む幸福な光景が直っ逆さまな落下への直情的な揺さぶりとなる。その意味でラストシーンのロケーションとカメラワークは見逃せない。それはコドモたちの過酷な運動へ向けられた聖性すら帯びた感謝と悦びの導きなのだろう。『アニキ・ボボ』では少年のナイトメアの画面が持つ呪術性を含め、サイレントの画面とトーキーの利用が快楽的に悪戯的にポエジーと結びついている。この小物屋さんの主人が古典映画っぽいマジシャンなルックスなのがまた素晴らしいじゃないか。上映後、リスペクトの心をこめて拍手。


追記*先週オリヴェイラと食事をしたというペドロ・コスタによると、オリヴェイラの『アンジェリカの奇妙な事件』に続く準備中の新作は、”貧しい人たち”をメインにそえた「非常に美しい」作品らしい。楽しみ。


追記2*以下、ポルトガル映画祭2010公式サイト。凄まじいラインナップ。
http://www.jc3.jp/portugal2010/index.html