『バッド・ルーテナント』(ヴェルナー・ヘルツォーク/2009)


恵比寿ガーデンシネマにてヘルツォークの新作。アベルフェラーラバッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』(1992)のリメイクだということは一旦忘れてしまってよいのかもしれない。ヘルツォーク版『バッド・ルーテナント』は記憶に新しいニューオリンズを襲ったハリケーンカトリーナによる浸水のシーンから始まる。デヴィッド・フィンチャーの『ベンジャミン・バトン』を思い出させる設定ながら、フィンチャーよりも同じくハリケーンによってバラバラに引き裂かれた身体=街=アメリカを描いたハーモニー・コリンガンモ』との影響関係、連帯を感じさせるところが興味深い。劇中で流れるソウルミュージックの才気走った特異な響き方は、『ミスター・ロンリー』における表題曲のあの響きを想起させる。ヘルツォーク自身がコリンの2作に出演していることも含め、この人を喰った若返りは、コリン作品からの最高の形のフィードバッグだろう。



バッド・ルーテナント』は「ハイ&ロウ」が伝染する映画だ。終始コカインとマリファナでキマった状態のニコラス・ケイジによる「ハイ」は人物と人物の間に、スクリーンと観客の間に伝染する。「ハイ」になるための呼吸の交換=交感が興味深い。コカインを隠し持っているカップルに強引な捜査、逮捕をチラつかせながらドラッグを要求、脅しの果てに女と路上でファックを始める刑事(凄いよ!)。ここでのドラッグの摂取方法が、女の吐く息からニコラス・ケイジの口へと空気の交換として渡される点。または老婦人の酸素呼吸器を外して脅迫する強引な捜査。窒息しそうになる老婦人のもがきは、ドラッグで「ハイ」になるための「留め」の段階と等しいように思える。実際、ようやく酸素を得た老婦人の前でニコラス・ケイジはより「ハイ」の状態になってしまう。


常時「ハイ」の状態で不正を働くニコラス・ケイジは、一時的に仲間となった犯罪グループのボスに「二人でこの世界に新しい秩序を作ろう」と共闘を持ちかけられる。ここでLOW=LAWのテーマが浮かび上がる。「ロウ」はヘロインによるダウナー=クールダウンであるばかりか、ここでは「法則」、又は「法律」でもある。いわば「ハイ」によって「法則」や「法律」を打ち破ろう、新たな「法則」や「法律」を創造しようという闘いのように思える。この映画の着地点が冒頭のハリケーンによる浸水と違った形で反復を見せるのは理に適っている。「ハイ&ロウ」、高低の問題として、低いところから上空=下界を眺めるように「魚の夢」を見るのだろう。イグアナの唄うソウルミュージックは地上に舞い降りた天使の歌だろう(ここでの撮影機材や構図自体の絶妙なズラし方が素晴らしい!)。人を喰ったバカバカしさに感動する。「ハイ&ロウ」の中間点に地面を這うようにワニやイグアナがいるのが興味深い。ワニやイグアナの横軸の動き。


ニコラス・ケイジのハイテンション演技、恋人のエヴァ・メンデス(美しい!)の同じくハイな演技。女性のハスキーな声。顔の選び方。ケイジがハイになったときの笑いの渇き方。ドラッギーな映画ではなく映画自体がドラッグそのものようだ。中毒になりそう。