『恋の秋』(エリック・ロメール/1998)


エリック・ロメール追悼特集上映「アデュー ロメール」にて『恋の秋』。「自分の好きな男と女を結びつける?子供の遊びだ!」。『恋の秋』におけるゲームの規則は常に女性がつくる。イザベルが言うように「慎ましさが大事」。にも関わらず「慎ましさ」という皮膜をいますぐ引き裂いてしまいそうな、同時に恋愛の無力にいますぐ屈してしまいそうな、ゲームの行方に固唾を呑むようなサスペンスが、マガリの経営するブドウ園のように全編を豊かに彩っている。冷静なゲームの観察者である人妻イザベルや若い娘ロジーヌさえ思わず紅潮してしまう。「すべての異性に愛されたい」というズル賢く、しかし心に正直な真っ当なる告白が、「慎ましさ」の枠を大きく超えてしまう。スクリーンをぬくぬくと見ている私たちの頬まで思わず紅潮してしまうところがロメールの奥義であり永遠の秘密だ。


車のガラス越しに外から洩れ聞こえる音が車内で真空状態になっているところが素晴らしい。特にマガリとジェラルド(イザベルが仕込んだ男性)の車内。カメラは二人ではなくフロントガラス越しに田舎の道を遅延するように捉えるのだけど、このときの会話の真空パックされたかのような親密さ、居心地の悪さが強烈だ。ロジーヌのヒラヒラしたケープの舞い方は『アストレとセラドン』を通過したあとでは尚更エロティックに見える。彼女の動物的な動きも素晴らしい。


ガリにやってきた”まるで18歳のような”セカンドチャンス。約束のない恋の始まりを彼女は清々しさと共に待つだろう。二人が惹かれ合っているのなら、きっと必ずまた出会う。少年少女のような新たな恋の始まりを祝福するように宴(結婚式!)はつづく。『恋の秋』はいますぐ好きな人に会いたくなるという意味で真の恋愛映画だ。実体ではなく人と人の間に生まれる空気の揺らぎをこそ信じる。その意味でこれは真の音楽映画だ。帰りの電車で美しいラストを思い出しては泣きそうになってしまった。